1977年に、姉のセーラと交際中だったチャールズ皇太子と出会う。その年、スイスにある花嫁学校アルパン・ヴィデマネット学院に入学したが、すぐに帰国してロンドンで一人暮らしを始める。
1979年に王室のサンドリンガム邸のパーティーで皇太子と再会、親密な関係となり、1980年に交際が深まった。そして1981年2月には皇太子と婚約し、7月29日にはセント・ポール大聖堂で結婚式を挙げる。
1982年5月以降、皇太子とともにケンジントン宮殿での生活がはじまり、ウィリアム王子とヘンリー王子の2子をもうける。しかし、その頃から、結婚生活や家庭生活、公務などで二人の考え方に溝ができ深刻化する。1992年12月には、二人の別居生活が公表される事態となる。
皇太子には、愛人カミラが存在し、ダイアナ自身も元騎兵連隊将校ジェームズ・ヒューイットと5年にわたって不倫していたことを認める。
ダイアナは自分はイギリス王妃にはならないと述べ、一方で「人々の心の王妃」になりたいとの希望を表明した。
そして、1996年8月に離婚する。離婚後は2人の王子たちの親権を皇太子と平等に保有し、莫大な慰謝料を獲得する。
離婚後は、慈善活動などを本格化させる一方で、パキスタン人心臓外科医ハスナット・カーンとの交際、さらにエジプト人映画プロデューサーのドディ・アルファイドとの交際も開始する。
そして、1997年8月31日深夜、パリでドディの運転する車が交通事故を起こし悲劇的死を遂げる。
死後、チャールズ皇太子の意向でイギリス王室が遺体を引き取り、準国葬の「王室国民葬」に付された。英国民のダイアナへの強い哀悼の機運もあり、女王エリザベス2世が特別声明を出し、また葬儀中にはバッキンガム宮殿に半旗が掲げられるという異例の処置が取られた。(出典:ウイキペディア)
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