電気投票記録機 |
エジソンは、電気投票記録機の特許を取得し、これで議会の賛成票と反対票が瞬時に集計して判別できると考え売り込みをかけた。しかし、それでは反対派が常套手段の「牛歩戦術」ができなくなるとの理由で採用されなかった。
この苦い経験により、エジソンは人の役にたたない発明には何の価値もないことを知ったのである。
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株式相場表示機 |
エジソンが発明した株式相場表示機は、業界の注目を受け、その特許権により、4万ドル(当時の日本円では2億円)ほどの利益を得た。
これにより、エジソンは発明家としての人生を本格的に歩み始めたのである。
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鉱石分離装置 |
鉱山経営にも手を出したが結局失敗している。
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白熱電球 |
当時、既に白熱電球は存在していたが、その寿命はわずかに10時間程度しかなかった。
エジソンは、日本の竹を素材に使って白熱電球のフィラメントを作ることで、その寿命を1200時間にまで高めることに成功した。
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直流送電 |
エジソンは、白熱電灯の実用化のために、直流送電に拘るあまり、交流送電の優位性を受け入れることができなかった。
交流送電を唱えるニコラ・テスラやウィスティングハウスどの間で電流戦争が勃発したが結局、技術として勝る交流送電に敗北した。
交流電流の理解には、微分積分学や三角関数などの高等数学の知識が不可欠だが、エジソンはそれが理解できなかったことが、この電流戦争の敗因だとの説もある。流石のエジソンも数学の天才ではなかったようだ。
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発電機 |
白熱電球による照明が普及すると、エジソンは発電から消費までの全てをエジソンブランドで統一しようという壮大な計画に着手します。
これに不可欠なのが発電機ですが、その時代、既に多くの発電機が実用化されているものの、それらは直流定電圧発電機でした。
エジソンが考えたのは、電球を長持ちさせる目的には都合のいい直流定電流発電機です。しかし、直流では、発電所の近くでは強力な電気が使える反面、遠方では損失が大きく安定な電力が確保できません。
長距離への安定な送電は交流が圧倒的に有利でした。このため、電気は交流で送電されることとなり、現在に引き継がれています。
交流を受け入れられなかったエジソンの夢は、結局、破綻し敗退してしまったのでした。
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蓄音機 |
〔蓄音機〕
(出典:シェルマン 蓄音機blog)
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1877年12月6日、エジソンの会社メンロバークで、「メーリさんのひつじ…」を歌う声が響いた。錫箔された円筒を回しながら歌うエジソンの姿だ。
歌い終わると、その筒を元の位置に戻して、さっきと同じようにハンドルを回した。
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すると、雑音の中に先ほどの歌が聞こえてきた。世界初の蓄音機が発明された瞬間である。時にエジソンは30歳だった。人々は彼を「メンロパークの魔術師」と呼んだ。
その後、あのグラハム・ベルも蓄音機を開発するようになる。ベルは錫箔の代わりに蝋を塗ったボール紙の円筒を使った。性能も格段に良いものとなった。そして更に第三の男、エミール・ベルリナーが円盤を用いた蓄音機の開発に成功する。
三人の開発競争は、いくつかのレコード会社に姿を変えながら延々と続き、現在に及んでいる。
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電話機
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当時、アメリカ大陸での電信事業を独占していたウェスタンユニオンの依頼で、エジソンは電話機の開発に着手している。電話自体の特許はグラハム・ベルのものだが、何らかの対立もあったという。
ベルの送話機では、電磁石を用いたダイナミックマイクが使われていたが、エジソンは炭素粒を用いたカーボンマイクを採用したり、誘導コイルを用いて送話距離を圧倒的に伸ばした。
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電気鉄道
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電動機(モーター)は、1830年代に発明されたが、実用になりそうなモーターを発明したのはアメリカのトマス・ダヴェンポートという人物である。
この人物は、モーターの応用例として、模型鉄道を考えたというが、電気エネルギーが力学的エネルギーに変換できると分かってから僅か10年後の話である。
エジソンは、アメリカにおける電気鉄道の実用化をしたのは、エジソンの功績である。
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無線通信機
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電磁波については、ジェームズ・クラーク・マクスウェルが予言しハインリヒ・ヘルツによる実証以降、世界中で開発ブームとなっていた時代、エジソンも無線機の発明に触手を動かしたが、無線機の発明については、グリエルモ・マルコーニに手柄を譲っている。
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映写機
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のぞき眼鏡式映写機(キネトスコープ)および改良映写機(ヴァイタスコープ)の発明を行い、現在の映画産業の技術的先駆けとなった。
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トースター
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これって、誰でもできそうな発明ですが。
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飛行機
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エジソンは、飛行機の製作にも興味があったが、安全面の問題から結局断念し、ライト兄弟に先を越されることとなった。
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