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〔世界の偉人〕

ヌルハチ
(???????????, genggiyen han)

 

 ヌルハチは満州族の愛新覚羅氏出身の人物であるが、生まれについては諸説あるも明らかではない。

 彼は幾多の戦いを経て、後金を建国した。後に270年間続くことになる清王朝の礎を築いた、清王朝の太祖、清の初代皇帝である。




 ヌルハチが生まれた時代、女真族(ジュシェン族)は、建州女真五部・海西女真四部・野人女真四部に分かれ相互に敵対していて、明は朝貢の権利を分散させ強大な部族が出現しないようにしていた。しかし、やがて明にも手に負えないほどに武力抗争が激しくなる。

 明の遼東司令官である李成梁は、明が制御できる範囲での大きな勢力を一つ作り、その後ろ盾になることで女真を治めようと企て、建州女真の中のヌルハチがその任に選ばれたのだった。

 やがて、ヌルハチは女真の大勢力となり1589年(万暦17年)には建州女真五部を統一する。ヌルハチの台頭に危機感を抱く他部族は結束して領土割譲を要求したが、拒否される。そして、ヌルハチは、この頃から自身の勢力圏を満州と呼ぶようになる。


 1593年(万暦21年)には、グレの戦いと呼ばれる、ヌルハチの満州軍と海西女真などの九部族連合軍との戦が起こり、ヌルハチが完勝する。この時期、明は日本の豊臣秀吉による文禄・慶長の役に忙殺されていた。

 1616年(万暦44年)、ヌルハチは本拠地ヘトゥアラでハンの地位に就き、国号を金、元号を天命と定めた。モンゴル文字を改良した満州文字(無圏点文字)を定めている。更に、八旗制という軍事組織を作り満州の勢力拡大の基盤を固めた。

 1618年(天明3年)、満州に敵対するイェヘを支援する明に対し、ヌルハチは攻略を決意する。イェヘ部と朝鮮兵で47万と号する兵を傭した明と、10万を号とする満州軍が激突するサルフの戦いが起こり、奇襲作戦などによりヌルハチ軍が勝利する。

 こうして、ヌルハチは、敗れたイェヘを吸収合併し女真全域を統一し、後金を建国する。その後、ヌルハチは瀋陽・遼陽を陥落させ、遼陽、次いで瀋陽に遷都し、後金の勢力圏を遼河の東方全域に拡げた。

 1626年(天明11年)、勝利に酔うヌルハチは明領内に攻め入らんと山海関の陥落を企てた。しかし、その手前にある寧遠城において、明の将軍袁崇煥の軍と激突する寧遠城の戦いが起こる。

 明の軍隊は、ポルトガル製大砲、紅夷大砲を多数並べて後金軍を迎え撃ち、ヌルハチ軍は敗退してしまう。この戦の数日後にヌルハチは病死したとされる。大砲による負傷が原因とも推測されている。

 ヌルハチ死後、ホンタイジが即位、1636年には、ヌルハチの後金を受けて満州において清王朝を建国する。その後、清王朝は、李自成の乱をきっかけに北京に入城、数々の戦いを経て中国を統一する。そして、1644年には中国とモンゴルを支配する統一王朝となった。

 270年の繁栄を築いた清王朝は、1912年の辛亥革命で滅びるまで大陸を支配した最後の王朝となった。


偉人のプロフィール

〔ヌルハチ〕のプロフィール。

〔ヌルハチ〕

ヌルハチの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称  ヌルハチ
本名  姓・諱:愛新覚羅弩爾哈赤
別名

称号  蒙文尊称:クンドゥレン・ハーン
 高皇帝:承天広運聖徳神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝
 廟号:太祖

時代  年号:天命(1616年~1626年)
生誕  1559年2月21日
死没  1626年9月30日
国籍  満州国、清国、中国
言語
居住地
学歴
職業  王朝:後金
 在位期間:1616年2月17日~1626年9月30日

分野
所属
業績  女真を統一から始まり、満州に後金を建国する。後に中国を統一し270年間も続く清王朝の礎を築いた。
作品
名言 〔ヌルハチの名言〕



サイト
その他

〔カラスの逸話〕

 ヌルハチは若年時に敵に追われ、溝の中に隠れたことがあった。その時、烏の大群が飛来し彼の体を覆い隠してくれて追手から逃げ延びたことができた。

 以後、清王室はカラスを奉るようになったという。