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アマゾン〔日本の偉人〕〔し〕で始まる日本の偉人東海林太郎(しょうじ たろう) |
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戦後になると、東海林の戦前の流行歌が進駐軍の監視対象となるなどでしばらくは不遇の時を過ごします。1946年頃からは、地方公演などの機会も増え、1963年には任意団体日本歌手協会初代会長に就任するなどし、懐メロ番組などに出演するなどで再び人気を回復します。NHK紅白歌合戦にも通算4回出場している。
『国境の町』 |
プロフィール | |
通称 | 東海林太郎 |
本名 |
東海林太郎 |
〔別名・ペンネーム〕 |
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〔称号〕 |
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〔時代〕 |
昭和時代 |
〔生誕・生誕地〕 |
1898年12月11日 |
〔死没・死没地〕 |
1972年10月04日(満73歳没) |
〔国籍〕 |
日本国 |
〔言語〕 |
日本語 |
〔出生国:出身地〕 |
日本国:秋田県秋田市台所町二番地 |
〔居住国:居住地〕 |
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〔出身校・最終学歴〕 |
秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)卒業 |
〔職業〕 |
歌手 |
〔ジャンル・主題〕 |
流行歌 |
〔所属・党・派〕 |
〔レーベル〕 |
〔活動・業績〕 |
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〔処女作〕 |
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〔代表作〕 |
『愛国行進曲』 |
〔受賞歴〕 |
紫綬褒章(昭和40年) |
〔残した言葉・名言〕 |
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〔公式サイト〕 |
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〔その他の情報〕 |
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一唱民楽 |
マイク一本四方が私の道場です。 大劇場であろうとキャバレーの舞台であろうと変わりありません。 |
1933年 | 絵傘日傘 | |
キャラバンの鈴 | ||
夢の龍胆 | ||
1934年 | 赤城の子守唄 | |
国境の町 | ||
月形半平太の唄 | ||
山は夕焼 | ||
谷間のともしび | ||
明日はあの山 | ||
城ヶ島夜曲 | ||
旅は鼻唄 | ||
綾乃の子守唄 | ||
1935年 | 旅笠道中 | |
野崎小唄 | ||
お駒恋姿 | ||
むらさき小唄 | ||
1936年 | 椰子の実 | |
お夏清十郎 | ||
1937年 | 湖底の故郷 | |
愛国行進曲 | ||
すみだ川 | ||
牡蠣の殻 | ||
1938年 | 上海の街角で | |
忠治子守唄 | ||
陣中髭くらべ | ||
麦と兵隊 | ||
1939年 | 名月赤城山 | |
1940年 | 紀元二千六百年 | |
ハルピン旅愁 | ||
戦場初舞台 | ||
1941年 | ああ草枕幾度ぞ | |
軍国舞扇 | ||
琵琶湖哀歌 | ||
1947年 | さらば赤城よ | |
1954年 | 椿咲く径 | |
1947年 | アイヌの子守唄 | |
1971年 | ある少尉の遺書 | |
わがいのち暁まで |