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〔日本の偉人〕

柴田勝家

 

 柴田勝家は、大永2年(1522年)、尾張国愛知郡上社村で出生したとされる、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり大名である。

 織田信秀の家臣として仕え、尾張愛知郡下社村を治めていた。信秀の死後は、織田信行(信勝)に家老として仕える。

柴田勝家の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 信秀の後継者を信行にせんと、信長を排除しようと画策するが、信長との戦いに敗れ降伏する。信行の死後に罪を許され、信長の家臣となる。徐々に信長の重臣として武功を挙げるようになる。その後も加賀一向一揆を制圧するなど、信長の家臣として多くの戦に参戦している。

 本能寺の変で信長が横死すると、清州会議での信長の後継者争いに破れ、秀吉と勝家の立場が逆転する。その後、お市の方と結婚するが、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、お市とともに自害して果てる。



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・柴田 勝家(しばた かついえ)

本名 〔本名〕
・柴田 勝家(しばた かついえ)

別名 〔通称〕権六郎、権六、修理進、勝栄
〔渾名〕鬼柴田、かかれ柴田、瓶割り柴田
〔号〕浄勝

称号 〔官位〕
・従六位下
・左京大進
・従五位下
・修理亮
・贈従三位

時代 〔時代〕
・戦国時代~安土桃山時代

生誕 〔生誕〕大永2年(1522年)?
〔生誕地〕

死没 〔死没〕天正11年4月24日(1583年6月14日)
〔没地〕近江国伊香郡賤ヶ岳付近
〔墓所〕
・柴田神社(福井県福井市)
・西光寺(福井県福井市)
・幡岳寺(滋賀県高島市)
・高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
〔戒名〕
・摧鬼院殿台岳還道大居士
・幡岳寺殿籌山勝公大居士

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 〔職業〕
・武将
・戦国大名

分野 〔ジャンル〕
・戦国時代の武将

所属 〔主君〕
・織田信秀→信勝→信長→秀信

〔氏族〕
・柴田氏(斯波氏庶流)

業績 〔業績〕
・若いころから織田信秀の家臣として仕え、尾張国愛知郡下社村を領したとされる。天文20年(1551年)に信秀が死去すると、子の織田信行(信勝)に家老として仕えた。

・信秀の後継者として、織田信長の排斥を画策し、信長との戦いに敗れ降伏する。このときは信長・信行の生母の願いで赦免される。

・謀反を企てると、勝家は信長に密告する。信長は信行をだまし討ちしてしまう。以後、勝家は信長の家臣となる。

・以前に信長に加担し信長に逆らったためか、その後の信長による桶狭間の戦いや美濃斎藤氏攻めでは、勝家は出番はなかったが、やがて信長の奉行の一人として認められる。

・その後の畿内平定戦などでは常に織田軍の4人の先鋒の武将として参加するようになる。

・本能寺の変で信長が横死するが、魚津城攻めをしていた勝家はこれを知らず魚津城を陥落させる。事件の報を受け全軍撤退して、ようやく近江に出動するが、すでに中国大返しを行った秀吉軍が光秀を討った後であった。

・本能寺の変後の清州会議で、織田氏後継者問題で勝家は信長の三男・織田信孝を推したが、信長の嫡孫・三法師(織田秀信)を擁立する秀吉の発言力に敗れる。この会議で諸将の承諾を得て、勝家は信長の妹・お市の方と結婚することとなる。

・天正11年(1583年)3月12日、勝家は北近江に出兵し、勝家は賤ヶ岳の大岩山砦を攻撃するが、美濃大返しを敢行した秀吉に敗れ、4月24日に北ノ庄城にてお市とともに自害して果てる。殉死するもの80余人であった。

〔辞世〕「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山郭公 (やまほととぎす)」

作品
受賞歴

名言

・城の水、わずかにこればかりなり。兵士の渇死は疑いない。いまだ力の疲れを知らないうちに必死の戦いをしようではないか。

サイト
その他 〔瓶割り柴田〕

・柴田勝家は、織田信長の重臣にして勇猛果敢な猛将であった。柴田軍は信長の朝倉氏攻略のおり、水の調達が困難なことで知られる長光寺城に籠城することになる。

 この際、敵方朝倉氏と同盟関係にある六角義賢によって水を絶たれてしまう。この窮地を逆手に取り、勝家は兵士たちの前で貴重な水瓶を割ってみせ、籠城を長引かせれば全員が渇死すること必定であるとし、直ちに敵を攻め落とすしかないと促す。

 これ将に「背水の陣」の作戦である。敵を攻め落とすしか生きる道はないと知った兵士たちは、城外へと打って出て六角氏を攻め落としたのであった。このエピソードは後世に「瓶割り柴田」として知られる。


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