HOME 今日の運勢館 PC版へ移動現在:スマホ版
 
日本の偉人世界の偉人分野別偉人人気順偉人地域別偉人
世界の国世界の変革世界の賞偉人の名言サイト情報
 
あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行
 
さしすせそ
 
〔さ〕で始まる世界の偉人

サーゲイ・ブリン
ザッカーバーグ
サッチャー
サド
サハロフ
ザビエル
サマセット・モーム
サミュエルソン
サモスのコノン
サルトル
サリヴァン先生
三蔵法師(玄奘三蔵)

〔三蔵法師(玄奘三蔵)〕

 玄奘三蔵は、唐代の中国の訳経僧である。玄奘は戒名であり、俗名は陳?、諡は大遍覚といい、尊称は法師、三蔵、あるいは三蔵法師などとも呼ばれる。

 628年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究の末、645年に経典657部や仏像などを持って帰還し翻訳作業を行い、法相宗の開祖となる。インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、後に『西遊記』の基となった。

三蔵法師の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 後の玄奘三蔵となる陳?は、隋朝の仁寿2年(602年)、洛陽にほど近い現在の河南省偃師市?氏鎮で、後漢の陳寔を祖にもつ陳留出身の士大夫の家柄に生まれた。

 10歳のとき父親が他界したのを機に、兄とともに浄土寺に学び、11歳にして『維摩経』と『法華経』を誦すようになる。13歳で『涅槃経』と『摂大乗論』を学んでいる。

 その後も、各地の寺に移りながら、『阿毘曇論』や『涅槃経』『摂大乗論』『阿毘曇論』『成実論』『倶舎論』の研究をすすめ、歴史や老荘思想への見識を深めたという。



 玄奘は、仏典の研究は原典に拠るべきと考え、仏跡の巡礼を志し、当時の唐王朝の国禁を犯して密出国し、河西回廊を経て、現在の新疆ウイグル自治区・トルファン地区に存在したオアシス都市国家、高昌に至っている。

 時の高昌王は、玄奘が熱心な仏教徒だったことから金銭面で支援した。

 玄奘は、西域商人らに混じり、天山南路から天山北路へと渡るルートを渡り、中央アジアの旅を続け、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに至った。

 ナーランダ大学で戒賢に師事し、唯識を学んだり、各地の仏跡を巡拝し、学問を修める。

 密かに出国して以来、実に16年の歳月を経た後、西域南道を経て帰国の途につき、貞観19年1月(645年)に、657部の経典を長安に持ち帰った。

 帰国した唐は時代が変わり、時の皇帝・太宗も玄奘の業績を高く評価し、玄奘が密出国のかどで罪を問われることはなかった。

 しかし、太宗は、西域で見聞した諸々の情報を詳細にまとめるよう命じた。この命に対しての報告書が、『大唐西域記』である。

 帰国後の玄奘は、その余生を持ち帰った膨大な経典の翻訳に捧げた。この翻訳作業は、弘福寺の翻経院や大慈恩寺において行われた。また、玄奘の進言を受けた次の皇帝・高宗は、652年、大慈恩寺に大雁塔を建立して、持ち帰った経典や仏像などを保存にあたった。

 玄奘は死の直前まで翻訳を続けたが、経典群の中で最重要とされる『大般若経』の翻訳を完成させた百日後に没している。

 玄奘自身は、持ち帰った経典全体の3分の1ほどしか翻訳を進めることが出来なかったが、それでも生前に完成させた経典の翻訳数は、76部1347巻に達した。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 玄奘三蔵

本名

玄奘(げんじょう)

別名

〔尊称〕:三蔵・法師など
〔戒名〕:玄奘
〔俗名〕:陳?
〔諡〕:大遍覚

称号

鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。

時代

生誕・生誕地

602年・生地:?氏県

死没

664年3月7日

国籍

中国

言語

中国語・サンスクリット語

居住地

中国・インド

学歴

職業

唐代の中国の訳経僧

分野

・インド仏典の中国への持ち帰り
・サンスクリット語の仏典の翻訳

所属

〔宗派〕:法相宗(宗祖)

・法相宗の実質的な創始者は玄奘の弟子の基であるが、『仏祖統紀』などは、玄奘とナーランダー留学時の師、戒賢までを含めた3人を法相宗の宗祖としている。

〔寺院〕:大慈恩寺

業績

〔西域への旅〕:密出国ながらインドへ向かい、多数のインド仏典を中国に持ち帰った。

〔仏典の翻訳〕:持ち帰ったサンスクリット語の仏典の翻訳に生涯を捧げた。

〔旅の記録〕:インドへの旅行の記録として、『大唐西域記』を残した。これが後の『西遊記』の基となった。

作品

〔著作〕

『大唐西域記』
ほかに、仏教典多数

受賞歴

名言

サイト

その他

〔玄奘の遺骨〕

 1942年(昭和17年)、南京市の中華門外にある雨花台で、旧日本軍が玄奘の墓を発見した。縦59cm横78cm高さ57cmの石槨の中に、縦51cm横51cm高さ30cmの石棺が納められていた。

 石棺内部には、北宋代の1027年(天聖5年)と明の1386年(洪武19年)の葬誌が彫られていて、石棺内に納められていたのは、頭骨、その他多数の副葬品であった。

 その後、玄奘の霊骨は、日中で分骨することとなった。中国側は、北平の法源寺内・大遍覚堂に安置されたほか、南京博物院や各地に分骨された。

 日本では、現さいたま市岩槻区の慈恩寺奉安された。後に奈良市の薬師寺「玄奘三蔵院」に一部分骨された。

慈恩寺玄奘塔(さいたま市岩槻区) 

慈恩寺玄奘塔(さいたま市岩槻区)
(出典:wikipedia)

ページのトップへ戻る

今日の運勢館おすすめおみくじ占い館


アマゾン商品


西遊記(10冊セット) (岩波文庫)
玄奘三蔵のシルクロード 中国編
西遊記〈1〉天の巻 (斉藤洋の西遊記シリーズ 1)
西遊記〈2〉地の巻 (斉藤洋の西遊記シリーズ 2)
西遊記〈6〉王の巻 (斉藤洋の西遊記シリーズ 6)

ページのトップへ戻る