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〔世界の偉人〕

サッチャー

 

 サッチャーは、イギリスの政治家で一代貴族である。1992年からは貴族院議員となる。保守的かつ強硬なその性格から「鉄の女」の異名で呼ばれる。イギリス保守党初の女性党首であり、イギリス初の女性首相である。

 サッチャーは、1925年10月13日、イギリスのリンカンシャー州グランサムで生まれた。生家は代々敬虔なメソジストの信徒で、「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神を家訓とし、サッチャーもそれを色濃く受け継いでいた。

サッチャーの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 彼女は、オックスフォード大学では化学を学び、1947年に卒業した。大学時代にフリードリヒ・ハイエクの経済学に傾倒し、そのとき学んだ経済学に関する思想や知識が後の新自由主義(ネオ・リベラリズム)的な経済改革、いわゆるサッチャリズムの基礎となった。



 1950年に、保守党から下院議員選挙に立候補するも落選する。1951年に10歳年上のデニス・サッチャーと結婚し法律の勉強を始め、1953年には弁護士資格を取得する。

 1959年に下院議員に初当選を果たし、1970年からはヒース内閣で教育科学相を務める。

 1974年の選挙で保守党は敗北し、翌年2月に保守党党首選挙が行われる。当初、サッチャーは党内のキース・ジョセフを推挙していたが、彼が数々の舌禍を引き起こして立候補を断念してしまう。このため、教育科学相の経験しかないサッチャーだったが、右派から出馬し、エドワード・ヒースを破り保守党党首に就任する。

 この年、イギリスを含む全35ヶ国でヘルシンキ宣言が調印、採択されたが、サッチャーはこれを痛烈に批判した。これに対して、ソビエト連邦の国防省機関紙「クラスナヤ・ズヴェズダ(「赤い星」)が、記事の中で、サッチャーを鉄の女と決めつけ非難した。

 この「鉄の女」という呼び名は、サッチャーの強硬な反共主義を揶揄するものだったが、あらゆる場面で有名となり、サッチャーの愛称として定着する。サッチャー自身も気に入っていたという。

 1979年の選挙で、それまで継続されてきた、高福祉の社会保障政策、社会保障支出の拡大継続と、経済の規制緩和、通信や鉄道、航空などの民営化による、イギリス経済の競争力強化を公約に掲げ、保守党を大勝に導き、女性初の首相に就任する。

 新自由主義あるいは新保守主義と呼ばれる政策を唱え、イギリス経済の建て直し、政府の市場への介入を抑制する政策を実施した。  1982年には、アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻する事件が発生したが、サッチャーが直ちに艦隊、爆撃機をフォークランドへ向かわせた。多数の艦艇を失うなどの犠牲もあったが、2か月後の6月14日にアルゼンチン軍を放逐した。サッチャーによるこの功績はイギリス国民に絶賛を浴びた。

 この際、サッチャーは、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」と述べた。戦争終結後「我々は決して後戻りしないのです」と力強く宣言し、支持率73%を記録する。

 このフォークランド紛争以降、保守党は総選挙で勝利し、サッチャーはより保守的、急進的な経済改革の断行するようになる。

 サッチャーは過去のナチス・ドイツとの激しい戦争の経験から、ドイツに対して強い警戒心を抱いていた。東西ドイツ再統一が実現すれば、コールが英雄となり第2のヒトラーとなり、第二次大戦前までのドイツの領土すべてを要求してくるのではと恐れていた。サッチャーは、「コールはドイツが分割された理由を分かっていない」と憤ったという。

 保守的・急進的改革を断行する強い姿勢で、3度の総選挙にぎりぎり乗り切ったが、任期の末期では、人頭税の導入を提唱して国民の強い反発を受けるなどで、求心力は低下し、結局11月22日に首相および保守党党首を辞任すると表明した。1992年以降は貴族院議員を務め、政治の表舞台から姿を消した。

 その後、2008年には、サッチャーの認知症が進行したと、長女キャロルが証言している。夫が亡くなったことも忘れるほどだったと。2012年12月21日、膀胱腫瘍の手術を受けた。2013年4月8日、脳卒中のため死去した。没年87歳であった。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 サッチャー
本名

サッチャー女男爵マーガレット・ヒルダ・サッチャー(イギリス英語: Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher, LG, OM, PC, FRS)

別名

鉄の女

称号

一代貴族:男爵

時代

20世紀~21世紀初頭

生誕・生誕地

1925年10月13日・イギリス:グランサム

死没

2013年4月8日(満87歳没)・イギリス:ロンドン

国籍

イギリス

言語 英語
居住地

イギリス

学歴

職業

イギリスの政治家

分野

イギリスの首相

所属

〔所属政党〕:保守党

・イギリス保守党初の女性党首
・イギリス初の女性首相

業績

〔イギリスの首相〕

・第71代首相
・在任期間:1979年5月4日 - 1990年11月28日

〔貴族院議員〕

・在任期間:1992年 - 2013年

〔第13代保守党党首〕

・在任期間:1975年 - 1990年

〔庶民院議員〕

・選挙区:フィンチリー選挙区
・在任期間:1959年 - 1992年

作品

〔著作〕

『サッチャー回顧録―ダウニング街の日々〈上・下〉』(1993年)
『サッチャー 私の半生〈上・下〉』(1995年)

受賞歴

〔授爵・叙勲〕

・一代貴族として男爵位を授爵し、女男爵(Baroness)として貴族院議員になる。1995年、ガーター勲章を受ける。(1992年)

・在世中の元首相では初めて、英国議会議事堂(ウェストミンスター宮殿)内に銅像が建立。なお、建立に際しサッチャーは、「鉄の像になるかと思ったのですが、銅像ですね…銅もいいですよね、錆びないから」と述べ、周囲の笑いを誘った。(2007年2月21日)

・日本から勲一等宝冠章が贈られている。儀礼的な叙勲でなく、個人的な功績によって同章の勲一等が授与された。(1995年(平成7年)5月)

名言

〔名言〕

「あなたの旗は赤旗でしょう? わたしの旗はユニオンジャックです」

「われわれは核兵器の無い世界ではなく、戦争の無い世界を目指すべきです」

「社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです」

「私はコンセンサスというものは、さほど重要なものであるとは思いません。あれは時間の浪費の原因のようなものですから」

(議会で動物擁護法案が通過する際、野次を飛ばす野党議員に対して)
「お黙りなさい!これはあなた方のためにもなる法律なんですからね!」

(「長期政権は民主主義に反するのでは」と質問した記者に対して)
「あなたはミッテランのことを批判するのですか?」

(フォークランド紛争開戦に反対する閣僚たちにむかって)
「この内閣に男は1人しかいないのですか?」

「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」

サイト 〔公式サイト〕:Margaret Thatcher Foundation

その他


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