HOME 今日の運勢館 PC版へ移動現在:スマホ版
 
日本の偉人世界の偉人分野別偉人人気順偉人地域別偉人
世界の国世界の変革世界の賞偉人の名言サイト情報
 
あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行
 
さしすせそ
 
〔し〕で始まる世界の偉人

シートン
シーボルト
シェイクスピア
ジェンナー
シャガール
ジャンヌ・ダルク
シャンポリオン
シューベルト
シューマン
シュバイツァー
シュリーマン
シュレーディンガー
ショパン
シンドラー
ジョン・レノン
始皇帝
諸葛孔明
釈迦

〔世界の偉人〕

シュレーディンガー

 

 シュレーディンガーは、オーストリア出身の理論物理学者である。彼は、次のような波動形式の量子力学を提唱し、量子力学の発展を築き上げた。

・波動形式の量子力学である「波動力学」を提唱
・量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式の提唱
・シュレーディンガーの猫などを提唱

シュレーディンガーの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 1933年、イギリスの理論物理学者ポール・ディラックと共に「新形式の原子理論の発見」の業績によりノーベル物理学賞を受賞した。

 シュレーディンガーは、1887年8月12日、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンで一人っ子として生まれる。彼は、バイエルン王国出身で広い教養を持った人物であった、父の影響を受け、多方面に興味を示す少年であった。

 ギムナジウムでは、自然科学のほか、哲学者ショーペンハウアーの作品などを好んで学習したという。1906年、ウィーン大学に入学し物理学を専攻している。大学には、有名な物理学者ボルツマンがいたが、シュレーディンガーの入学直前に、うつ病で自殺してしまい、後任として物理学者フリードリヒ・ハーゼノールが教鞭を執っていた。

 シュレーディンガーは、ボルツマンの学説に強い感銘を受けて、理論物理学者を目指したのである。ウィーン大学在学中のシュレーディンガーは、連続体力学の固有値問題に取り組んだ。



 1911年、ウィーン大学物理学研究室室長のフランツ・S・エクスナーの指導で実験物理学を学びながら助手をしていたが、第一次世界大戦の勃発により、1914年~1918年の間、砲兵士官として、プロセッコ、ウィーンなど各地の戦線で従軍した。

 1920年4月6日に、アンネマリー・バーテルと結婚する。

 1920年、フリードリヒ・シラー大学、イェーナでドイツの物理学者マックス・ヴィーンの助手、続いてシュトゥットガルト大学の准教授、1921年にはシレジアのブレスラウ大学で教授となる。そして、1921年からは、スイスのチューリッヒ大学で6年間、数理物理学教授を務めた。

 1925年~1926年、シュレーディンガーは、フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイが発見した物質波の概念を基に、ハミルトン-ヤコビ方程式を用いて波動方程式を導出、波動力学を展開した。

 更に、波動力学が、ドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが提唱した行列力学と、数学的に同等であることを証明し、その後の量子力学の確立に大いに貢献した。

 1927年にはフンボルト大学ベルリンで理論物理学の教授を務める。1933年にヒットラーが政権をとると、ベルリン大学を辞職した。

 1933年、イギリスのオックスフォード大学のフェローとなる。シュレーディンガーの波動力学と行列力学とは数学的に同等であるが、これを完全な形で証明したディラックとともにノーベル物理学賞を受賞した。

 1934年にはアメリカへ渡り、プリンストン大学で講義を行った。1936年には、オーストリアのグラーツ大学で教授を務めた。

 1935年、箱の中に猫と放射性物質ラジウム、ガイガーカウンターと青酸ガス発生装置を入れるという、いわゆる「シュレーディンガーの猫」の思考実験を提唱する。これにより、アインシュタインらが行った思考実験「アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス」とは異なる、量子力学の欠陥についての指摘を行った。

 1937年には、ドイツ物理学会からマックス・プランク・メダルが授与される。

 その後も、第二次世界大戦などに翻弄されながら、世界各地の大学などで活躍するが、1956年には第二次世界大戦後の1956年にはオーストリアに帰国し、母校であるウィーン大学の教授に就任する。

 1961年1月4日、ウィーンで結核のため死去した。彼は、物理学に対し強い情愛と理念を持つ人物だった。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 シュレーディンガー
本名

エルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガー(Erwin Rudolf Josef Alexander Schrodinger)

別名

称号

時代

19世紀末~20世紀

生誕・生誕地

1887年8月12日・オーストリア=ハンガリー帝国:ウィーン

死没

1961年1月4日(満73歳没)・オーストリア・ウィーン

国籍

オーストリア・アイルランド

言語

オーストリア語

居住地

オーストリア・アイルランド・ドイツ・イギリスなど

学歴

ウィーン大学

職業

〔学者〕

・物理学者
・理論物理学者
・量子力学者

分野

〔研究分野〕

・物理学
・理論物理学
・量子力学

所属

〔研究機関〕

・ウィーン大学
・ブレスラウ大学
・チューリッヒ大学
・ベルリン大学
・オックスフォード大学
・グラーツ大学
・Dublin Institute for Advanced Studies
・ゲント大学

業績

〔主な業績〕

・シュレーディンガー方程式
・シュレーディンガーの猫
・シュレーディンガー描像
・メラー=プレセット法

作品

受賞歴

〔主な受賞歴〕

・ノーベル物理学賞 (1933)
 (受賞理由:新形式の原子理論の発見)

・マックス・プランク・メダル (1937)

名言

〔ボルツマンについて〕

 シュレーディンガーが最も影響を受けた理論物理学者のボルツマンについて、シュレーディンガーの言った言葉。

 「ボルツマンの考えた道こそ科学に於ける私の初恋と言っても良い」

〔著書『精神と物質』の中で〕

 「西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです。」

 「宗教は科学に対抗するものなのではなく、むしろ宗教は、これとかかわりのない科学的な研究のもたらしたものによって支持されもするものなのであります。神は時空間のどこにも見出せない。これは誠実な自然主義者の言っていることであります。」

 「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」

 (この名言:ウイキペディアより引用)

サイト

その他

〔紙幣〕

 1983年~1997年まで発行されていた、1000オーストリア・シリング紙幣に肖像が使用されていた。


ページのトップへ戻る

今日の運勢館おすすめおみくじ占い館


アマゾン商品
シュレーディンガーのジレンマと夢―確率過程と波動力学
シュレーディンガーの思索と生涯―波動のパラダイムを求めて
シュレーディンガー方程式の解き方教えます (物理数学One Point)
近似と特殊関数―補間多項式とシュレーディンガー方程式への応用
高校数学でわかるシュレディンガー方程式―量子力学を学びたい人、ほんとうに理解したい人へ (ブルーバックス)

ページのトップへ戻る