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〔世界の偉人〕

シュリーマン

 

 シュリーマンは、ドイツの考古学者・実業家である。シュリーマンは、幼少期に聞かされたギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアに特別な興味を抱く。

 彼は、『イーリアス』の記述を解読して、トロイアはヒサルルクの丘にあると推測し、事業で得た莫大な資産を背景に、実際に発掘を行いその存在を証明した。

シュリーマンの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 1873年に、いわゆる「プリアモスの財宝」を発見、伝説のトロイアを発見したのである。この発見を契機に、古代ギリシアの先史時代の研究は急速に進むこととなった。



 シュリーマンは、プロイセン王国のメクレンブルク・シュヴェリン州ノイブコウで、9人兄弟の6番目として生まれた。彼が8歳の時に母親が亡くなり、叔父の家で育てられた。

 13歳のとき、ギムナジウムに入学するも貧困のため退学、食品会社で働いた。仕事のかたわら語学を独学し、15ヶ国語を完全にマスターしたという。

 1841年にベネズエラへの移住を目指したが、乗った船が難破しオランダ領の島に流れ着く。そこでオランダの貿易商社に入社する。

 1846年には、サンクトペテルブルクに商社を設立、翌年にはロシア国籍を取得している。この事業で成功し、続いてゴールドラッシュに沸くアメリカ カリフォルニア州サクラメントにも進出して成功を確たるものとする。そして、クリミア戦争時にロシアに武器を密輸して巨万の富を築く。

 自伝によれば、シュリーマンは幼少時にホメーロスの『イーリアス』に感動し、伝説の都市トロイアが実在したと信じるようになったという。事業に成功し、莫大な資産を手にしたシュリーマンは、トロイアの遺跡発掘を目指すのである。

ミケーネの調査(1885年頃) 
ミケーネの調査(1885年頃)
(出典:wikipedia)

 彼は、『イーリアス』の記述を解読して、トロイアはヒサルルク(ヒサルルック)の丘にあると推測する。1870年には許可なくこの丘の発掘に着手するが、翌年には正式な許可を得て発掘調査を続けた。

 1873年に、いわゆる「プリアモスの財宝」を発見、伝説のトロイアを発見したのである。この発見を契機に、古代ギリシアの先史時代の研究は急速に進むこととなった。

 しかし、シュリーマンは発掘の専門家ではなく、知識も不十分であった。また、時代的にも考古学が発展段階であり、発掘技術も未熟な時代であったため、不適切な発掘作業が行われ、遺跡には多くの損傷が残された。これらの損傷は、現在でも考古学者による再発掘・再考証を困難にしているという。

 シュリーマンは、オスマン帝国政府との協定を無視して、出土品を国外に持ち出したり私蔵するなどした。一度は、発掘の中止を命じられたが、イスタンブル駐在の西欧列強の外交官を動かすなどで再度発掘許可を得ている。

 これらプリアモスの財宝は、オスマン帝国政府には無断でギリシアのアテネに持ちだされたが、その後の1881年、シュリーマンに「ベルリン名誉市民」の栄誉を与える条件でドイツに寄贈された。

 第二次世界大戦中に多くの発掘品がモスクワのプーシキン美術館の地下倉庫に移送され、現在は同美術館で公開展示されている。これらの発掘品ついて、トルコ、ドイツ、ロシアが、それぞれ所有権を主張していて決着がついていない。

 シュリーマンは、東洋へも興味を示し、1865年頃、当時の清国(現在の中国)や幕末期の日本を訪問している。この訪問記として『シュリーマン旅行記清国・日本』を書き、その時代の赤裸々な東アジアの様子を描写している。

 その後、ソルボンヌ大学やロストック大学に学び、ギリシアに移住しトルコで発掘調査を行っている。

 シュリーマンは、トロイア発掘での遺跡について、遺跡の下から2番目の層がトロイア戦争時代のものと推測していた。

 後の発掘調査で実際のトロイア戦争時代の遺跡は第7層Aであることが判明している。

 現実には、第2層はトロイア戦争時代より1000年ほど昔の時代の遺跡だった。

 これは、古代ギリシャより遥か以前にエーゲ海各地に優れた文明が存在したことを証明するものとなった。

 1876年には、ミケーネで「アガメムノンのマスク」のような黄金を蔵した竪穴墓(竪穴式石室)を発見している。先に述べたように、シュリーマンは1881年にトロイアの黄金をドイツ国民に寄贈してベルリンの名誉市民となっている。

 彼は、トロイア遺跡の発掘を継続しながら、1884年にはティリンスの発掘にも着手した。そして、1890年、旅行先のナポリで急死しアテネの第一墓地に葬られた。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 シュリーマン
本名

ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(ドイツ語: Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann)

別名

称号

時代

19世紀

生誕・生誕地

1822年1月6日・ドイツ:ノイブコウ

死没

1890年12月26日・イタリア:ナポリ

国籍

ドイツ

言語

〔マスターした言語〕

ドイツ語、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、スウェーデン語、ポーランド語、イタリア語、現代ギリシア語、古代ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語、ロシア語、アラビア語、トルコ語

居住地

学歴

ソルボンヌ大学・ロストック大学

職業

ドイツの考古学者・実業家

分野

古代遺跡発掘

所属

業績

〔古代遺跡発掘〕

・トロイア発見遺跡の発見・発掘

作品

〔著書〕

『古代への情熱』(シュリーマン自伝)
『シュリーマン旅行記清国・日本』
『日本中国旅行記』

受賞歴

〔受賞歴〕: RIBAゴールドメダル

名言

サイト

その他


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