ヨハネス・ケプラーは、ドイツの天文学者・数学者・自然哲学者・占星術師である。天体の運行法則に関する〔ケプラーの法則〕を唱えたことで知られている。 天体の運動を理論的に解明した業績は、天体物理学者の先駆的存在であった。
ケプラーは、1571年12月27日に、ドイツのシュヴァーベン地方の自由都市ヴァイル・デア・シュタットで生誕した。 ケプラーの家は裕福ではなかったが、奨学金により神学校に進学したのち、1587年にテュービンゲン大学に入学して数学を学んだ。
1594年には、現在のグラーツ大学の前身学校で、数学と天文学を教えるようになった。 そして、1596年には『宇宙の神秘』を出版し、この中でコペルニクスの唱えた地動説を全面的に支持した。
1598年、当時グラーツを治めていた、オーストリア大公フェルディナント2世の命によるプロテスタント聖職者と教師の追放令により、プロテスタントであったケプラーは失職した。 1599年、天体の大観測家であるティコ・ブラーエの助手として招かれ、プラハへと移動する。ティコ・ブラーエは、デンマーク(現スウェーデン領)ヴェン島にウラニボリ天文台を建設して、1576年~1597年の21年間にわたり天空の観測を続け、膨大な観測データを残した人物である。 1601年にティコが亡くなり、その後任のルドルフ2世宮廷付占星術師として仕える。ティコのデータを手に入れたことで、これを研究・解析して、後に〔ケプラーの法則〕と呼ばれる法則を発見することになる。 1609年に、ケプラーの代表作となる『新天文学(Astronomia Nova)』を発表したが、この中に、ケプラーの第一法則と第二法則の論文が含まれている。そして、1618年には、ケプラーの第三法則を発表した。 ケプラーは1611年に凸レンズを接眼鏡に使う望遠鏡を発表したが、自分では製作はしていない。後の1615年、クリストフ・シャイナーがこれをを製作している。
ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)
1571年12月27日・ドイツ:ヴァイル・デア・シュタット
1630年11月15日(満58歳没)・ドイツ:レーゲンスブルク
ドイツ
グラーツ、プラハ、リンツ、ウルム
テュービンゲン大学
天文学者・数学者・自然哲学者・占星術師
〔研究分野〕:天文学・数学・自然哲学
〔主な業績〕 ・ケプラーの法則 ・ケプラー予想 ・光の逆2乗の法則の証明 ・1631年の水星の太陽面通過予言 ・ケプラー多面体を2つ発見 ・後にハレー彗星と呼ばれる彗星を観測・記録(1607年) ・超新星を発見・観測(1604年) ・雪の結晶が必ず正6角形になることを発見 ・ケプラー問題を提起 ・ケプラーの八角星を発見
〔著書〕 『The Forerunner of Dissertations on the Universe, Containing the Mystery of the Universe』(「宇宙についての先駆的論述、宇宙の謎を含んで」の意)(1596年出版) 『ケプラーの夢』 『宇宙の神秘』 『宇宙の調和』 『新天文学』
国際宇宙ステーション (ISS) に燃料や水、空気、補給品、実験装置を運搬する無人宇宙補給機である、欧州補給機(ATV)2号機に〔ケプラー〕の名称が付けられている。