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アマゾン〔日本の偉人〕〔す〕で始まる日本の偉人菅原道真(すがわらのみちざね) |
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昌泰2年(899年)右大臣に昇進して、時平と道真が左右大臣として肩を並べるが、道真の勧める中央集権的な財政に対し、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになる。 「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
その梅が、京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅伝説」がある。
・延喜9年(909年)道真の政敵、藤原時平が39歳で病死。
このような天変地異が多発したのは道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行うなどさまざまな名誉回復を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。 |
プロフィール |
通称 |
〔通称〕 ・菅原 道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん) |
本名 |
〔本名〕 ・菅原 道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん) |
別名 |
〔幼名〕「阿呼」(あこ)の後に「吉祥丸」へ改名 〔尊称〕菅公、菅丞相、天神、天神様 〔神号〕 ・天満大自在天神 ・日本太政威徳天 ・北野天満宮天神 |
称号 |
〔官位〕 ・従二位 ・右大臣 ・贈正一位 ・太政大臣 |
時代 |
〔時代〕 ・平安時代前期 |
生誕 |
〔生誕〕承和12年6月25日(845年8月1日) 〔生誕地〕奈良市菅原町周辺。 ・他にも諸説あり真実は定かではない。 ・菅大臣神社(京都市下京区)説 ・菅原院天満宮神社(京都市上京区)説 ・吉祥院天満宮(京都市南区)説 ・菅生天満宮(堺市美原区)説 ・菅生寺(奈良県吉野郡吉野町) ・菅原天満宮(島根県松江市)説 ・余呉湖(滋賀県長浜市)の羽衣伝説では「天女と地元の桐畑太夫の間に生まれた子が菅原道真であり、近くの菅山寺で勉学に励んだ」と伝わる。 |
死没 |
〔死没〕延喜3年2月25日(903年3月26日) 〔没地〕大宰府 〔墓所〕太宰府天満宮 |
国籍 | 日本国 |
言語 | 日本語 |
居住地 |
〔居住地〕 ・京都 ・大宰府 |
学歴 | |
職業 |
〔職業〕 ・日本の平安時代の貴族 ・学者 ・漢詩人 ・政治家 |
分野 |
〔ジャンル〕 ・貴族 ・学者 ・漢詩人 ・政治家 |
所属 |
〔主君〕 ・宇多天皇 ・醍醐天皇 〔氏族〕 ・菅原氏 |
業績 |
〔業績〕 ・忠臣として名高く、宇多天皇に重用され、寛平の治を支えた一人である。 ・醍醐朝では右大臣にまで昇った。 ・天満天神として信仰の対象であり現在は学問の神として親しまれる。 |
作品 |
〔著作〕 『菅家文草』 『菅家後集』 『類聚国史』 『新撰万葉集』 『新撰万葉集』 〔和歌集〕 『菅家御集』 『古今和歌集』に2首が採録されるほか、「北野の御歌」として採られているものを含めると35首が勅撰和歌集に入集する。 『日本三代実録』(編者) |
受賞歴 | |
名言 |
〔菅原道真の和歌〕
此の度は 幣も取り敢へず 手向山 紅葉の錦 神の随に
〔菅原道真の名言〕
・悲しみの涙をたたえて、日本国を侵し亡ぼし、大海となして、八十年を経ての後国土を建立してわがすみかとせん。 |
サイト | |
その他 |
・江戸時代には昌泰の変を題材にした芝居や人形浄瑠璃・歌舞伎で上演されて大当たりした。
『天神記』 福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種、梅ヶ枝餅には、次のような伝承が伝わっている。
・大宰府へ左遷されて意気消沈していた道真に、老婆が餅を供しその餅が道真の好物になったという伝承。 |