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〔す〕で始まる日本の偉人

杉原千畝 杉田玄白
杉文 鈴木貫太郎
鈴木章 鈴木大拙
鈴木梅太郎 菅原道真

〔日本の偉人〕

杉田玄白

 

 杉田玄白は、江戸時代の蘭学医である。医師として開業すると共に、天真楼という医学塾を開いた。

 長崎からオランダの医学書を持ち帰った前野良沢らと共に、千寿骨ヶ原において死体の腑分けを実見し、解剖図の正確さに驚愕する。仲間とともに『ターヘル・アナトミア』を和訳して、有名な『解体新書』として刊行した。

杉田玄白の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 明和8年(1771年)のこと、中川淳庵がオランダ商館院から借用したというオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を持参して玄白のもとを訪れる。

 玄白は、このオランダ書の税密な解剖図に驚き、藩に相談して自らも手に入れる。偶然なことに長崎から江戸に戻った前野良沢や中川淳庵もこの書を持ち帰ったことを知る。

 玄白、良沢、淳庵らは、「千寿骨ヶ原」で処刑された罪人の腑分けを実見し、解剖図の正確さに驚愕するとともに、オランダの医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳することを決意する。

 この書の翻訳は苦難を極めたが、彼らは安永3年(1774年)に『解体新書』として刊行するに至る。友人桂川甫三(桂川甫周の父)により将軍家に献上された。



〔杉田玄白:珠玉の名言〕

・おのれ上手と思わば、下手となるの兆しと知るべし。

・為すべきは人にあり。成るべきは天にあり。

・一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。


 安永5年(1776年)、杉田玄白は藩の中屋敷を出て、近隣の500国取り旗本、竹本藤兵衛の浜町拝領屋敷500坪のうちに地借し外宅とし、ここに「天真楼」と呼ばれる医学塾を開くとともに開業する。

 玄白は優れた外科医とされ、当時江戸一番の上手とされ、「病客日々月々多く、毎年千人余りも療治」と称されたという。玄白は、晩年には藩から加増を受けて400石に達している。

 文化12年(1815年)、83歳になった杉田玄白は、蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に上下2編からなる手記『蘭学事始』を贈った。

 高齢を迎えた日本蘭学の先駆者である杉田玄白は、自身の死後になって、蘭学草創期の史実が後世に誤り伝わることを懸念し、自らの記憶する当時のことを書き残そうと決意し、その結果生まれたのが『蘭学事始』である。

 この書は、当初は『蘭東事始』という題名であったが、『和蘭事始』との記録もある。この書は玄白自筆の原稿本とその写本の二冊のみ書かれ、原稿本は杉田家に所蔵され、写本は大槻玄沢に贈られたという。

 その後、安政2年(1855年)の安政の大地震で杉田家が被災して失われ、大槻家の写本もいつしか散逸してしまい、完全に失われたとされていた。しかし、幕末のころ湯島の露店で、大槻家の写本が偶然に発見された。

 明治2年(1869年)になると、玄白の曽孫の杉田廉卿による校正を経て、この書は福沢諭吉はじめ有志一同が『蘭学事始』(上下2巻)の題名で刊行する。

 この書は、西洋医学導入期の第一級医学資料として、広く読まれるようになり再版を重ねた。福沢諭吉は明治23年の「蘭学事始再版の序」で、草創期の先人の苦闘に涙したと記している。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・杉田玄白(すぎた げんぱく)

本名 〔本名〕
・杉田玄白(すぎた げんぱく)

別名
称号 〔称号〕
・贈正四位(1907年:明治40年)

時代 〔時代〕
・江戸時代

生誕 〔生誕〕享保18年9月13日(1733年10月20日)
〔生誕地〕江戸牛込

死没 〔死没〕文化14年6月1日(1817年6月1日)(85歳没)
〔没地〕
〔墓所〕墓所は東京都港区愛宕の栄閑院

国籍 日本国
言語 日本語
居住地 〔居住地〕
・江戸

学歴 〔勉学〕
・青年期には家業の医学修行を始める。
・奥医の西玄哲より医学を学ぶ。
・本郷に開塾していた古学派の儒者宮瀬竜門に漢学を学ぶ。

職業 〔職業〕
・江戸時代の蘭学医

分野 〔ジャンル〕
・蘭学医学

所属 〔所属〕
・若狭国小浜藩医
・私塾天真楼を主催

業績 〔業績〕
・『解体新書』(『ターヘル・アナトミア』の和訳)

作品 〔著作〕
 『解体新書』
 『蘭学事始』
 『形影夜話』
 『養生七不可』
 『医事不如自然』
 『野叟独語』

受賞歴
名言 〔杉田玄白の名言〕

・おのれ上手と思わば、下手となるの兆しと知るべし。

・為すべきは人にあり。成るべきは天にあり。

・医の業は習熟に在らざればその妙処は得がたし。此の故に一人にても多く病者を取扱い、功を積みたる上ならでは、練熟することは成り難しと知れり。

・一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。

・飲と食とは度を過ごすべからず。

・昨日の非は悔恨すべからず。明日、これを念慮すべし。

・事なき時は薬を服すべからず。

・正物に非(あら)ざれば、苟(いやしく)も食すべからず。

・壮実を頼んで、房をすごすべからず。

・動作を勤めて、安を好むべからず。

・明日の是は慮念すべからず。

サイト
その他  杉田玄白の肖像画は、石川大浪筆のものが知られ、重要文化財として、早稲田大学図書館に所蔵されている。

 杉田玄白は、間宮海峡にその名を残す同時代の探検家、間宮林蔵と同族である。


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