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〔日本の偉人〕

〔す〕で始まる日本の偉人

鈴木貫太郎

(すずき かんたろう)


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行

さしすせそ

〔す〕で始まる日本の偉人

杉原千畝 杉田玄白
杉文 鈴木貫太郎
鈴木章 鈴木大拙
鈴木梅太郎 菅原道真

〔鈴木貫太郎:珠玉の名言〕

・太平洋は名の如く平和の洋にして日米交易のために天の与えたる恩恵である、もしこれを軍隊搬送のために用うるが如きことあらば、必ずや両国ともに天罰を受くべし。

・古来、日本精神の一つに、敵を愛すということがある。私もまた、その精神に則ったまでです。

・われは敗軍の将。郷里で畑を相手に生活しております。

・永遠の平和、永遠の平和。


 鈴木貫太郎は、和泉国大鳥郡伏尾新田出身の海軍軍人であり政治家である。

 爵位は男爵であり軍人としての階級は海軍大将であった。海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長などの顕職を歴任した。

鈴木貫太郎の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 明治10年(1877年)に前橋市に転居し、明治17年には海軍兵学校に入学し、日清戦争に従軍、明治31年海軍大学校を卒業した。後に、二・二六事件で襲撃されるも一命を取り留め、次々と要職を歴任し、第42代内閣総理大臣に就任した。



 二・二六事件は1936年(昭和11年)2月26日、午前5時頃に発生した。安藤輝三陸軍大尉が指揮する一隊が官邸を襲撃し、安藤が下士官が兵士たちに発砲を命じると、鈴木は左脚付根、左胸、左頭部に被弾し倒れ伏した。八畳間は血の海になった。

 下士官の一人が「中隊長殿、とどめを」と促し、安藤が軍刀を抜くと、妻のたかが「おまちください!」と叫び、「老人ですからとどめは止めてください。どうしても必要というならわたくしが致します」と気丈に言い放った。

 安藤は軍刀をおさめて、「鈴木貫太郎閣下に敬礼する。気をつけ、捧げ銃」と号令した。安藤は妻のたかに向かって、「まことにお気の毒なことをいたしました]。われわれは閣下に対しては何の恨みもありませんが、国家改造のためにやむを得ずこうした行動をとったのであります」と静かに語り、兵士を引き連れて官邸から引き上げたという。

 鈴木は出血多量であったが、まだ意識があり、自ら起き上がって「もう賊は逃げたかい」と言った。鈴木は病院に運ばれると出血多量のため意識喪失し心肺停止状態となる。直ちに蘇生処置が施された結果、奇跡的に息を吹き返した。

 1945年(昭和20年)4月、小磯國昭内閣が戦況悪化の責任をとり辞職する。その時点で枢密院議長だった鈴木は、その後継を決める重臣会議に出席すると、若槻禮次郎、近衛文麿らは首相に鈴木を推薦した。

 鈴木は驚いて「とんでもない話だ。お断りする」と答えたものの、既に重臣の間では昭和天皇の信任が厚い鈴木の首相推薦について根回しが行われていて、鈴木を後継首班にすることが決定された。鈴木は、満77歳2ヶ月での総理大臣就任であった。

 戦況はますます悪化する中で、8月6日の広島市への原子爆弾投下、9日のソ連対日参戦と長崎市への原子爆弾投下があり、鈴木は老体を押しながら不眠不休で終戦工作に尽くした。

 8月15日正午、昭和天皇の朗読による玉音放送がラジオで放送された。同日、鈴木は天皇に辞表を提出し鈴木内閣は総辞職した。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・鈴木 貫太郎(すずき かんたろう)

本名 〔本名〕
・鈴木 貫太郎(すずき かんたろう)

別名
称号 〔勲章等〕
・勲六等瑞宝章
・功五級金鵄勲章
・勲四等瑞宝章
・功三級金鵄勲章
・勲三等旭日中綬章
・明治三十七八年従軍記章
・大礼記念章
・旭日重光章
・勲一等旭日大綬章
・大正三四年従軍記章
・第一回国勢調査記念章
・帝都復興記念章
・旭日桐花大綬章
・男爵

〔外国勲章佩用允許〕
・ロシア帝国神聖アンナ第一等勲章

時代 〔時代〕
・江戸時代~昭和時代初期

生誕 〔生誕〕1868年1月18日(慶応3年12月24日)
〔生誕地〕和泉国大鳥郡伏尾新田(現・大阪府堺市中区)[1]

死没 〔死没〕1948年4月17日(昭和23年)(80歳没)
〔没地〕千葉県東葛飾郡関宿町
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・第一番小学校厩橋学校(現前橋市立桃井小学校)卒業
・群馬中学(現群馬県立前橋高等学校)中退
・攻玉社に学ぶ
・海軍大学校卒業

職業 〔職業〕
・日本の海軍軍人
・政治家

分野 〔ジャンル〕
・日本政府要職

所属 〔前職〕
・枢密院議長

〔所属政党〕 ・大政翼賛会

業績 〔海軍士官〕
・海軍士官として顕職を歴任した。
 ・海軍次官
 ・連合艦隊司令長官
 ・海軍軍令部長(第8代)

〔枢密院〕
・枢密院要職を歴任した。
 ・侍従長就任
 ・枢密顧問官兼任
 ・枢密院副議長(第14代)
 ・枢密院議長(第20・22代)

〔内閣〕
 ・内閣総理大臣(第42代)
 ・外務大臣(第70代)
 ・大東亜大臣(第3代)

〔ポツダム宣言受諾〕
・陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言受諾により第二次世界大戦を終戦に導いた。

作品 〔著書〕
 『鈴木貫太郎自伝』

名言 〔鈴木貫太郎の名言〕

・もう賊は逃げたかい。

・首魁のような立場にいたから止むを得ずああいうことになってしまったのだろうが、思想という点では実に純真な、惜しい若者を死なせてしまったと思う。(二・二六事件の安藤が処刑された後、記者に述べた言葉)

・今日、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。

・今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。(鈴木の就任後、まもなく死亡したアメリカ大統領ルーズベルトの訃報を知ると同盟通信社の短波放送により述べた言葉。)

・阿南さんのお気持ちは最初からわかっていました。それもこれも、みんな国を思う情熱から出てきたことです。しかし阿南さん、私はこの国と皇室の未来に対し、それほどの悲観はしておりません。我が国は復興し、皇室はきっと護持されます。陛下は常に神をお祭りしていますからね。日本はかならず再建に成功します。(二・二六事件の阿南が最後に訪問したときの言葉)

・阿南君は暇乞いにきたのだね。(阿南が静かにうなずいて「私も、そう思います」と言って辞去すると、鈴木は迫水久常につぶやいた。その数時間後、阿南は割腹自決した。)

・日本人ほど平和を愛する人間は世界にいない。日本は300年間、一兵も動かさず、平和を楽しんでいた。今日の日米関係は険悪で、日米もし戦わばという声も両国から上がっているが、日米は戦ってはいけない。

・もしアメリカが日本を攻めたとしても、日本人は断じて降伏しない。占領するためには6000万人の兵をもって、日本人6000万人と戦わなければならない。アメリカがそれだけかけて日本を占領したとしても、得るのはカリフォルニア一州ぐらいのものだ。

・太平洋は名の如く平和の洋にして日米交易のために天の与えたる恩恵である、もしこれを軍隊搬送のために用うるが如きことあらば、必ずや両国ともに天罰を受くべし。

・古来、日本精神の一つに、敵を愛すということがある。私もまた、その精神に則ったまでです。

・われは敗軍の将。郷里で畑を相手に生活しております。(終戦後、枢密院議長を経て、郷里に戻ったときの言葉。)

・永遠の平和、永遠の平和。(死の直前、非常にはっきりした声で二度繰り返した)

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