日本でも、狩野探幽や歌川広重、喜多川歌麿、菱川師宣、円山応挙、尾形光琳などのほか、横山大観や棟方志功、竹久夢二、青木繁、前田青邨、川合玉堂、東山魁夷など数えれば果てなしの感があります。
日本の絵画の歴史を辿ると、とてもややこしくて正確な表現ができそうもありませんが、次のように整理してみました。
日本古来の絵画は、当時の中国から伝来した絵画を模倣した中国風の絵画から始まり、〔唐絵(からえ)〕と呼ばれました。
やがて平安時代の国風文化の時期になると、日本独自の絵画技法が芽生え、生育し全盛を誇るようになります。〔唐絵〕に対抗する言葉として〔大和絵〕〔やまと絵〕〔倭絵〕〔和絵〕などと呼ばれるようになりました。
〔大和絵〕の主たる画題は、春夏秋冬を描き出す〔四季絵〕、月々の景色を描き出す〔月並絵〕そして、各地の名所を描く〔名所絵〕となっていて、襖や屏風に描かれました。
・大和絵
・仏画
・絵巻物
・屏風絵・襖絵
・浮世絵
・草双紙
・大和絵の流派・会派
・狩野派
・土佐派
・住吉派
・雲谷派
・巨勢派
・四条派
・長崎派
・円山・四条派
・円山派
・琳派
この時代は長く続き、古くは仏画や絵巻物、そして武家の時代になると襖絵や屏風絵を専門的に描く絵師たちの集団(会派・画派)が出現します。有名な会派・流派には、狩野派や土佐派がありますが、その他にも多くの流派があります。
一時期、墨だけを用いた〔水墨画〕が流行りますが、消滅はしないまでも、主流といえるほどには至りませんでした。
江戸時代には、専門的な会派・流派による、貴族や武家など高貴な種族に愛された大和絵は、やがて、版画技法による〔浮世絵〕や〔草双紙〕などの形で庶民の間に浸透していきます。絵画が上流階級だけのものから、一般大衆向けに進化したのです。
日本が開国した明治時代になると、海外からいわゆる〔西洋画(洋画)〕が導入され、全盛を誇るようになり、従来の〔大和絵〕は〔西洋画〕に対抗する表現として〔日本画〕と呼ばれるようになります。
現代日本画にも非常に多くの会派が存在し、それぞれに技を競っています。それぞれの会派は良い意味で対抗関係にあり、その画法や慣習なども異なるようです。
以下に、これらの状況を一覧表にまとめてみました。それぞれの画法や会派では現代に名を残す著名な絵師たちが存在する他、無数の絵師たちが活躍していました。現代の会派も同様で、限られた有名画家たちの他に、無名の画家たちの数は気が遠くなるほど多くいます。
・現代日本での会派
・日本美術院
・文展
・帝展
・日展
・創画会
・太平洋画会
・二紀会
・日月社
・フュウザン会
・春陽会
・国画創作協会
・日本南画院
・青龍社
・紅児会
・国画玉成会
・円山四条派
・巽画会
・二科会
・赤曜会
・光風会
・国画会
・新樹会
・民芸派
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