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〔世界の偉人〕

フォン・ブラウン

 

 ヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル(男爵)・フォン・ブラウンは、科学者であり、ロケット技術開発の最初期における最重要指導者のひとりである。

 第二次世界大戦後にドイツからアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行った。旧ソ連のセルゲイ・コロリョフと共に米ソの宇宙開発競争の代名詞的な人物である。

フォン・ブラウンの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 1958年7月29日にはアメリカ航空宇宙局(NASA)が法律上成立した。翌日、50番目のレッドストーンロケットが核実験ハードタック作戦の一部として南太平洋のジョンストン島から成功裏に打ち上げられた。

 2年後、NASAはアラバマ州ハンツヴィルにマーシャル宇宙飛行センターを新設し、フォン・ブラウンと彼の開発チームをレッドストーン兵器廠からNASAに移籍させた。フォン・ブラウンは1960年から1970年まで同センターの初代所長を務めた。

 マーシャル宇宙飛行センターの大きな初仕事は、1960年に就任したジョン・F・ケネディ大統領の指揮下で計画がスタートした、宇宙飛行士を月に運べるサターンロケットの開発であった。



 フォン・ブラウンの子供時代の方針であった「時代を動かすこと」とその後の夢となっていた人類が月面を踏む手助けをすることは、1969年7月16日、マーシャル宇宙飛行センターが開発したサターンVロケットがアポロ11号の搭乗員を打ち上げた時に現実のものとなった。アポロ計画の過程で6組の宇宙飛行士チームが月面を探検した。

 1970年フォン・ブラウンと家族はハンツヴィルからワシントンD.C.に移り、NASA本部の計画担当副長官補に任命され、テクノクラートとしての役割を果すが、アポロ計画後、フォン・ブラウンは彼の将来の宇宙飛行の方針がNASAのものとは違うと感じ、1972年6月にNASAを辞した。

 彼はメリーランド州ジャーマンタウンにあるフェアチャイルド社の副社長に就任し、米国宇宙研究所(英語版)(1987年に設立された現在の米国宇宙協会(英語版)の前身)を創立し振興する活動を行った。(出典:ウイキペディア)


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