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細川ガラシャ

細川ガラシャの肖像・写真
(出典:ウイキペディア)
 細川ガラシャは、永禄6年(1563年)明智光秀と妻・煕子の間に三女として生まれ、珠と呼ばれた、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性である。
 細川忠興の正室であり、キリシタンとして知られる。明治期以降、キリスト教徒たちが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになり、現在でも広くこのように呼ばれている。

 15歳のとき、父親光秀の主君である織田信長のすすめで細川忠興に嫁ぎ長男、長女をもうけた。

 しかし、本能寺の変で彼女は「逆臣の娘」となり、忠興は彼女を丹後国に隔離し幽閉する。その後、羽柴秀吉のとりなしで細川家の大坂屋敷に戻され監視された。

 そのころからキリスト教に惹かれるようになり洗礼を受ける。その後、忠興が徳川家康に従い、上杉征伐に出陣した際、西軍の石田三成に細川屋敷が襲われ、彼女は壮絶な最期を遂げる。


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