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らりるれろ
 
〔り〕で始まる日本の偉人

力道山 李香蘭
良寛

〔日本の偉人〕

力道山

 

 力道山は、日本のプロレスラーで、戦後の日本のプロレス界で残然と輝いた。

 もともとは大相撲の力士出身で、戦後の日本のプロレス界の礎を築き、プロレス界に燦然と輝いたレスラーで、日本プロレス界の父と呼ばれている。

力道山の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 その時代、日本ではTV放送がようやく民間でも見られるようになった時代で、ラジオ屋さんの店頭には大勢の人が集まりプロレスを観戦したものである。

 プロレス界に君臨する絶頂期であった力道山は、通りすがりの暴力団員といざこざとなったが、この際、暴力団員に下腹部をナイフで刺され、7日後に穿孔性化膿性腹膜炎を発症し死去した。



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 力道山(りきどうざん)
本名 百田 光浩(ももせ みつひろ)
別名

〔戸籍名〕
・日本名:百田 光浩
・朝鮮名:金 信洛

〔リングネーム〕力道山
〔ニックネーム〕日本プロレス界の父

受賞歴
時代 昭和時代前半
生誕

〔生誕〕1924年11月14日
〔生誕地〕朝鮮 咸鏡南道洪原郡新豊里

死没 〔死没〕1963年12月15日(39歳没)
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕

国籍  日本
言語 日本語
出身地
居住地
学歴
職業 〔スポーツ歴〕
・大相撲力士
 (四股名:力道山光浩)
・プロレスラー
分野 〔分野〕
・大相撲
・プロレス
所属 〔所属〕日本プロレス
・デビュー:1951年
・引退:1963年(現役中に死亡)
業績 〔大相撲時代の成績〕
・通算成績:135勝82敗15休 勝率.622
・幕内成績:75勝54敗15休 勝率.581
・現役在位:23場所
・幕内在位:11場所
・三役在位:6場所 (関脇3場所、小結3場所)
・三賞:1回
・殊勲賞:1回 (1948年5月場所)
・金星:2個(東冨士1個、照國1個)
・各段優勝
・幕下優勝:1回 (1944年5月場所)
・三段目優勝:1回 (1942年1月場所)

〔プロレス時代の成績〕
(NWA)
 ・NWA世界タッグ王座
 ・NWA殿堂

(WWA)
 ・WWA世界ヘビー級王座

(日本プロレス)
 ・日本ヘビー級王座
 ・インターナショナル・ヘビー級王座
 ・アジアヘビー級王座
 ・アジアタッグ王座
 ・ハワイ太平洋タッグ王座
 ・太平洋タッグ王座

(WWE)
 ・WWE殿堂(レガシー部門)

作品 〔著作〕
 『空手チョップ世界を行く - 力道山自伝』
受賞歴 (業績の項を参照)
名言

〔@@@の名言〕

・男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかない。それは過去に誰もやったことのないことを、一生懸命やることだ。

・人間窮すれば通ずるものだ。手が使えなければ足を使う。足が使えなければ噛みついても試合はできる。

・3年間、私に預けなさい。きっと立派なレスラーにしてみせる。そしてブラジルに、日本のプロレスの花を咲かせるのだ。
(昭和35年ブラジル遠征痔、力道山はサンパウロの青果市場で働いていた猪木を見つけ、猪木の面倒を見ていた市場の主、児玉満さんにこの言葉で約束した。)

サイト
その他

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