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楠木正成

楠木正成

楠木正成の肖像・写真
(出典:wikipedia)

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将である。鎌倉時代末期、元寇から半世紀が経ったころ幕府には恩賞を与える実力もなく権威は失墜していた。
 民は重税に苦しみ、世は乱れ、後醍醐天皇が幕府打倒を目指し京都で挙兵する。これを支援した数少ない武将のひとりが楠木正成であった。

 正成はわずか500の普段は百姓をしている地侍で挙兵し、数万の幕府軍と戦うことになる。正成軍に兜などあろう筈もない惨めな軍勢だったし、山城も粗末なものであったため、幕府軍は「1日くらい持ちこたえてくれねば恩賞がもらえぬ」と罵声を浴びせた。

 幕府軍が城を取り囲み斜面を埋め尽くした瞬間、それは起こった。城の外壁が崩れ落ち幕府軍は一気に700名もの兵を失ってしまったのだ。様々な奇策で翻弄したのである。幕府軍にいた足利尊氏は、正成は只者ではないと感心したという。

 兵糧攻めが始まり、正成軍は20日で食糧が尽き、城に火を放つが、抜け道から脱出して行方をくらましてしまう。その後も奇策による戦が続き、結局、140年続いた鎌倉幕府滅亡へと続くのである。

 しかし、勝利した後醍醐天皇は、公家を重んじ武家を軽んじたり、民衆に厳しい税を課したために信望を失い、足利尊氏たちが反旗を翻すことになる。圧倒的多数の敵と対決した楠木正成は自害して果てることとなる。(ここには、余白がなくこれ以上、書けないのが残念である。)


この偉人のプロフィール
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