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〔日本の偉人〕

豊田喜一郎

 

 豊田喜一郎は、静岡県敷知郡吉津村山口生まれの経営者、技術者、トヨタ自動車創業者である。

 1920年、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、経営者を志し、東京帝国大学法学部で学んだ。

豊田喜一郎の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)




 その後、豊田紡織に入社し、サンフランシスコ、ロンドン、オールダムなどを視察した。碧海郡刈谷町に試験工場を作り、自動織機の開発を開始する。1926年には豊田自動織機製作所を設立し常務取締役に就任した。当時黎明期の自動車産業の将来を信じ、所内に自動車製作部門を新設している。

 1937年にはトヨタ自動車工業株式会社として独立し、同年同社の副社長に就任した。その後、社長職を務め、世界に誇る自動車産業の礎となった。

 豊田喜一郎の業績は世界的にも大きく知られ、2001年に創設された日本自動車殿堂の殿堂者に選出された。また、2018年には、アメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たした。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・豊田 喜一郎(とよだ きいちろう)

本名 〔本名〕
・豊田 喜一郎(とよだ きいちろう)

別名
称号 〔称号〕
・従五位勲四等瑞宝章
・豊田市の名誉市民

時代 〔時代〕
・明治時代~昭和時代前期

生誕 〔生誕〕1894年6月11日(明治27年)
〔生誕地〕静岡県敷知郡吉津村山口(現:湖西市山口)
〔生育地〕愛知県名古屋市

死没 〔死没〕1952年3月27日(昭和27年)(57歳没)
〔没地〕愛知県 豊田市
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・高岳尋常小学校(現:名古屋市立東桜小学校)
・愛知県師範学校附属小学校(現:愛知教育大学附属名古屋小学校)
・旧制明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)
・第二高等学校(現:東北大学)甲組工科
・東京帝国大学工学部機械工学科卒業
・東京帝国大学法学部

職業 〔職業〕
・日本の経営者
・技術者tete ・トヨタ自動車創業者

分野 〔ジャンル〕
・トヨタ自動車

所属 〔所属〕
・トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)
・社長(第2代)
・社団法人自動車技術会会長(第2代)

業績 〔業績〕
 豊田喜一郎は、父佐吉の自動織機開発に協力し、さらに紡績機械も開発した。その繊維機械事業を基盤に、自動車の大量生産を目指して国産技術の開発に努め、自動車産業の基盤を築いた。

 自動車産業に関連する多くの企業(下記)を設立し、日本の自動車を世界に冠たるものとする礎を築いた。

・豊田紡織
・豊田自動織機製作所
・豊田自動織機製作所内 自動車製作部門
・豊田工機(現ジェイテクト)
・東海飛行機(現アイシン精機)
・名古屋ゴム(現豊田合成)
・日本電装(現デンソー)
・トヨタ自動車販売
・民成紡績(現トヨタ紡織)
・トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)

作品
受賞歴 〔殿堂入り〕
 2001年に創設された日本自動車殿堂の殿堂者に選出された。

 また、2018年には、アメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たした。

名言 〔豊田喜一郎の名言〕



サイト
その他  豊田喜一郎は、愛知県豊田市(挙母市)の発展に大きく貢献したことで、豊田市役所の広場には銅像が建立されている。


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