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〔き〕で始まる日本の偉人

岸信介 菊池寛
北原白秋 北里柴三郎
北島三郎 木下杢太郎
木戸孝允(桂小五郎)
曲亭馬琴(滝沢馬琴)

〔日本の偉人〕

岸信介

 

 岸信介は、日本の政治家であり官僚である。満州国総務庁次長、商工大臣、衆議院議員、自由民主党幹事長、外務大臣、内閣総理大臣、皇學館大学総長などを歴任した。

 岸信介は、東京帝国大学法学部卒業後、農商務省に入省し要職を歴任している。建国直後の満州国でも国務院高官として要職を歴任している。東條内閣でも閣僚を務めた。

岸信介の写真 
(出典:wikipedia)

 太平洋戦争終結後はA級戦犯被疑者として逮捕され3年半拘留されたが、即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した功労者であるとして、不起訴無罪放免された。

 吉田自由党に入党するも吉田茂と対立して除名され、日本民主党の結党に加わる。保守合同で自民党が結党されると、石橋内閣に閣僚として参加、そして石橋湛山の後任として内閣総理大臣に就任する。日米間の相互協力及び安全保障条約の成立に尽力した。



偉人のプロフィール

プロフィール
〔称号〕 ・正二位 ・大勲位菊花大綬章
通称 岸 信介(きし のぶすけ
本名 岸 信介(きし のぶすけ
別名

〔旧姓〕佐藤
〔綽名〕昭和の妖怪

称号
時代

生誕 〔生誕〕1896年11月13日
〔生誕地〕山口県吉敷郡山口町(現:山口市)
死没 〔死没〕1987年8月7日(90歳没)
〔没地〕
〔墓所〕山口県田布施町・静岡県駿東郡小山町の冨士霊園
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・旧制山口中学校
・旧制第一高等学校
・東京帝国大学(現・東京大学)
 (法学士:1920年)
職業 〔職業〕 ・商工省官僚
・日本の政治家
分野 〔分野〕国政・保守政治
所属 〔所属政党〕
 ・翼賛政治会→
 ・護国同志会→
 ・無所属→
 ・日本再建連盟→
 ・自由党→
 ・無所属→
 ・日本民主党→
 ・自由民主党
業績 〔役職履歴〕
・満州国総務庁次長
・商工大臣(第24代)
・衆議院議員(9期)
・自由民主党幹事長(初代)
・自由民主党総裁 (第3代)
・外務大臣(第86・87代)
・内閣総理大臣臨時代理
・内閣総理大臣(第56・57代)
・皇學館大学総長 (第2代)
作品 〔自著〕
 『日本戦時経済の進む途』
 『二十世紀のリーダーたち』
 『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』
 『我が青春―生い立ちの記・思い出の記』
 『保守政権の担い手 私の履歴書』
受賞歴 〔主な受賞歴〕
・満州国・国境事変従軍記章
・勲一等旭日桐花大綬章
・大勲位菊花大綬章
・ノーベル平和賞候補にノミネートされたが実現しなかった。
・国連平和賞
 (国連ピース・メダルを受けた。国際連合から「国連の人口活動の理想を深く理解し、推進のためにたゆまぬ努力をされた」と評価された。

名言 〔@@@の名言〕

・(安倍晋太郎について)もう少し悪口をいう敵がいなければ駄目だっていうんだ。

・(憲法改正に関して)護憲の連中は憲法を改正するとまた戦争になり、徴兵制が敷かれ、子供や夫をまた戦場に送ることになるんだというような、訳の分からぬ宣伝をしている。

・(国会での安保条約論議について)くだらない問題でしたが、『極東』の範囲なんていうのは、(議会対策で)苦労した格好になっているけれども、あれは愚にもつかなかったね。

・(昭和35年の日米安全保障条約改定時について)日本がアメリカの核戦争に巻き込まれて、戦争になるというようなわけのわからん議論が盛んだった。

・ゴットルは私も読みましたよ。理論的にはある程度研究しました。われわれは統制経済論によって何か社会革命を行おうというのではなくて、現実の政治的な必要からこれを用いたように思うんです。

・だまれ、兵隊! なにを言うか。お前みたいなのがいるから、このごろ東條さんは評判が悪いのだ。日本において右向け右、左向け左という力を持っているのは、天皇陛下だけではないか。下がれ!

・デモに参加している人たちは必ずしも自分の意思で参加しているのではない。あれだけの数が集まるのは、日当をもらって出ている人や、背後にだれかがいてそれにおどらされているからだ。

・ならばもう一度政治家となって再建の礎を築こう。大木になるまではむりとしても、苗木になるまでの日本をみたい。

・マルクスとエンゲルスの往復書簡などはとにかく読みましたよ。でもね、(これらの著作は)どうも根本的に初めから(自分と)相容れないものでしたね。ある意味からいえば、理解できない点が随分多かったと思うんですよ。

・悪運が強くないと政治家は駄目。運が七割。

・安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる。

・吉田さんがつくった安保条約では、日本がアメリカに占領されているようなものなんです。形式的には占領軍が撤退して、その後あらためて米軍がやってきて日本を占領している状況が、旧安保条約なんです。

・私がやったことは歴史が判断してくれる。

・私には、私有財産制というものを維持しようという考えはなかった。

・私の政治方針は、汚職、暴力、貧乏の三悪を追放し、外交ではとくにアメリカとの恒久的な協力関係を深めたい。内政では経済の安定と均衡を保つ長期展望にたつ計画のもとで、持続性のある経済の発展による雇用の拡大を実現させたい・

・私有財産の問題と国体維持の問題を分けて考えるというのは、その当時のわれわれの問題の基礎をなしていたんです。したがって、私有財産制の維持というものに対しては非常に強い疑問をもっていました。

・総理、政治家というものは、あんまりあっさりしてはいけないね。地位に恋々としてかじりつく必要があるんだ。その点、僕なんかはあっさりしすぎていた。

・大東亜共栄圏は随分と批判があったけど、根本の考え方は間違っていません。日本が非常に野心を持ってナニしたように思われるけど、そうではなく…。

・第一はね、いうまでもなく安全保障ですよ。それがなけりゃあ、経済の発展も、あるいは文教の振興もない。

・誰もが若いときに傾倒するのだが、『資本論』は難しかったよ。一応は読みました。

・転ぶな、風邪を引くな、義理を欠け。

・日米安保は集団的自衛権とは違う。憲法があるから海外派兵はできない。

・北一輝の『国家改造案(原理大綱)』が一つの大きな魅力でもあった。

・本当は、総理をやってですよ、しばらく野に下って、今度は権力者としてではなく国民の側に立ってものを観察し、いろいろ思いを巡らしてこれを前の経験と結び合わせてもう一度総理をやった政治家は、前より大いに偉くなるんですよ。それを利用しないのは、国にとって非常に僕は非能率だと思うんだ。

・満州の産業開発は、私の描いた作品である。この作品にたいして私はかぎりない愛着を覚える。

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