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〔世界の偉人〕

レーガン大統領

 

 ロナルド・ウィルソン・レーガンは、アメリカ合衆国の俳優であり政治家である。カリフォルニア州知事を経て第40代大統領を歴任した。

 日本では、以前にはリーガンと呼ばれていた。日本では「ロン」の愛称で知られる。

レーガン大統領の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 アメリカ合衆国大統領の記録上では、最年長で選出された(69歳349日)大統領である。また、唯一離婚歴を有することでも知られる。

 ドナルド・レーガンは、幼少時より類まれな話術と演技の才能を欲しいままにし、やがてイリノイ州シカゴの大リーグチーム・シカゴ・カブスのラジオアナウンサーとなる。

 1934年のセントルイス・カーディナルス戦でのカブス9回の攻撃時、放送回線が故障してしまったが、レーガンは機器回復までの間、即興で架空の実況放送を滑らかに行ったことで知られる。

 その後、映画俳優となり、二枚目俳優としての地位を築き上げ多くの映画に出演した。第二次世界大戦時、アメリカ陸軍航空軍第1映画部隊に配属され、訓練用・教育用の映画やプロパガンダ映画の制作などに携わった。終戦までハリウッドに残り陸軍大尉まで昇進した。

 ハリウッド時代、スパイ活動を行い赤狩りのため協力した。レーガンは多くの反共主義者と異なり、アメリカ共産党の非合法化には強く反対した。それらの経験が、その後の為政者としての地位を高めたとも言われる。



 1967年1月には、第33代カリフォルニア州知事に就任した。その後、1968年に大統領選に初出馬するが、同じカリフォルニア州から出馬する後のニクソン大統領と予備選で戦って敗退した。1976年に大統領選に再出馬するが、全国共和党大会で現職のフォード大統領との戦いとなり敗退する。

 1980年の大統領選では難なく党大統領候補指名を獲得した。選挙戦は、ジミー・カーター大統領との戦いだった。当時、イランアメリカ大使館人質事件の解決に無力だったカーターを破り、1981年1月21日、ついに第40代大統領に就任する。

 1期目は、「レーガノミックス」で知られる積極的財政政策を実施し、経済の回復とともに双子の赤字をもたらした。レーガンは外交に関しては強硬策を貫き、ベトナム戦争以来の武力侵攻をグレナダに対して行うなど「強いアメリカ」を印象づけた。

 2期目には、レーガンはデタントを否定し、ソビエト連邦を「悪の帝国」と批判した。「力による平和」戦略によってソ連及び共産主義陣営に対抗し、「レーガン・ドクトリン」を標榜して、世界中の反共主義運動を支援した。

 これはやがて、ソ連の解体、ベルリンの壁崩壊に続く東側諸国の民主化をもたらした。レーガンは冷戦の平和的な終結に大きく貢献したのである。

 大統領退任後、自らのアルツハイマー病を告白、闘病に専念したが、2004年6月5日、死去した。没年93歳であった。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 レーガン大統領
本名

ロナルド・ウィルソン・レーガン(Ronald Wilson Reagan)

別名

ロン

称号

時代

20世紀~21世紀初頭

生誕・生誕地

1911年2月6日・アメリカ:イリノイ州タンピコ

死没

2004年6月5日・アメリカ:カリフォルニア州ロサンゼルス市。93歳没

国籍

アメリカ合衆国

言語 英語
居住地

アメリカ

学歴

・ディクソン高校
・イリノイ州ユーリカ大学(経済学・社会学)

職業

アメリカ合衆国の俳優・政治家

分野

州知事・大統領

所属

〔政党〕共和党

業績

〔カリフォルニア州知事〕

第33代州知事(1967年1月2日 ? 1975年1月6日)

〔アメリカ大統領〕

第40代大統領(1981年1月20日 ? 1989年1月20日)
 「レーガノミックス」
 「レーガン・ドクトリン」

作品

受賞歴

名言

サイト

その他


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