エミリー・ジェーン・ブロンテは、イギリスの小説家です。イギリス:ヨークシャーのソーントンに住む牧師の娘として生まれました。
彼女の書いた唯一の長編小説は『嵐が丘』であり、当初は酷評されたけれど、没後になって有名になりました。
(出典:wikipedia)
エミリー・ブロンテは、イギリス・ヨークシャーのソーントンで、父親パトリック・ブロンテ、母親マライアの6人兄弟姉妹のひとりとして生まれました。
・マリア(姉:1814年)
・シャーロット(姉:1816年)
・エミリー・ジェーン(1818年)
・エリザベス(姉:1815年)
・パトリック・ブランウェル(兄:1817年)
・アン(妹:1820年)
アンが生まれた1820年に、一家はハワースに移住し、現在はブロンテ協会本部となっている牧師館で暮らすようになります。しかし、翌1821年には母親が胃がんと結核を患い38歳の若さで他界してしまい、姉のエリザベスと兄のブランウェルとが一家の母親代わりとなり暮らします。
1824年、三人の姉たちマリアとエリザベス、シャーロットがランカシャーのカウアン・ブリッジ校に入学し、エミリーも入学しました。この学校の衛生環境が非常に悪く、翌年にはマリアとエリザベスとが肺結核となり急死してしまいます。このため、シャーロットとエミリーは緊急に牧師館に戻ります。
その後、シャーロットが私塾で牧師に採用され、エミリーもそこの生徒となりますが、3か月後には、エミリーはハワースの牧師館に帰り、代わりにアンが生徒となります。
エミリーは牧師館に帰ると詩を書くようになり、これはやがてアンとの共同劇『ゴンダル年代記』のもととなります。
エミリーは、1836年にローヒルという場所で牧師となりますが、半年でやめます。1842年には、シャーロットと二人でベルギーブリュッセルにあるエジェ寄宿学校へ留学しますが、半年後にはエミリーだけは帰国します。
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