|
|
|
|
|
〔む〕で始まる日本の偉人 |
〔む〕で始まる日本の偉人は結構多くいて、次のような偉人がいます。 ・向井千秋 ・紫式部 ・室生犀星 ・村岡花子 ・村山定男 ・村上鬼城 ・村田清風 ・村田英雄 ・棟方志功 ・武者小路実篤 ・陸奥宗光 紫式部は、平安時代中期の女性作家・歌人です。その時代の女流作家のひとりで『源氏物語』の作者として知られています。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人であり、『小倉百人一首』にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」の歌が入選しています。 棟方志功は、日本人の板画家で、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人と称されます。彼は版画を「板画」と称して、木の板を用いてその特徴を生かした創作を貫きました。第二次世界大戦中、富山県で浄土真宗にふれ『阿弥陀如来像』『蓮如上人の柵』『御二河白道之柵』『我建超世願』『必至無上道』などの作品を創作しました。 向井千秋は、群馬県館林市出身の慶應義塾大学医学部卒の医学博士であり、日本人女性として初の宇宙飛行士です。1994年にはスペースシャトル・コロンビア号でのミッションに搭乗し、1998年にはスペースシャトル・ディスカバリー号でジョン・グレンとともに二度目の宇宙飛行をしています。 |
〔向井千秋〕 向井千秋は、群馬県館林市出身で日本人女性初の宇宙飛行士である。彼女は慶應義塾大学医学部卒、医学博士、外科医である。1985年8月10日、NASAより宇宙飛行士3人の発表があり、向井は、実験担当のペイロードスペシャリスト(PS:搭乗科学技術者)に任命された。 1994年になってようやくスペースシャトル・コロンビア号のペイロードスペシャリストとして搭乗し、7月8日~23日のあいだ宇宙に滞在した。この時、金魚の宇宙酔い実験もしている。 そして、1998年にはスペースシャトル・ディスカバリー号で二度目の飛行を行った。 |
〔紫式部〕 平安時代中期の女性作家で歌人で、『源氏物語』の作者とされる。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。『小倉百人一首』にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」で入選している。 |
〔室生犀星〕 室生犀星は、石川県金沢市生まれの詩人で小説家である。彼は私生児として生まれ、生後間もなく生家近くの真言宗寺院に引き取られ、実の両親に会ううこともなく成長した。 1902年、高等小学校を中退し金沢地方裁判所の給仕として就職し、上司から俳句の手ほどきを受ける。1904年に新聞へ投句を始め、『北國新聞』に初掲載される。 1913年、北原白秋に認められ白秋主宰の詩集『朱欒(ざんぼあ)』に寄稿するようになる。1916年には萩原朔太郎と同人誌『感情』を発行し、中央公論などから注文がくるようになる。1929年には初の句集『魚眠洞発句集』を刊行している。戦後は小説家として活躍した。 |
〔村岡花子〕 村岡花子は、誕生名を安中はなという日本の翻訳家で児童文学者である。児童文学の翻訳を得意とし、『赤毛のアン』の翻訳で知られる。 村岡花子は、山梨県甲府市の決して豊かでない家に生まれたが、クリスチャンの父親逸平の願いで2歳のときカナダ・メソジスト派の甲府教会で幼児洗礼を受ける。10歳のときはなは、東洋英和女学校に給費生として編入学する。 村岡花子は、『アン』シリーズ、『エミリー』シリーズ、『丘の家のジェーン』『果樹園のセレナーデ』『パットお嬢さん』などのモンゴメリーの作品の翻訳を手掛けた。 |
〔村山定男〕 村山定男は、東京府出身の天文学者である。火星の観測や、隕石の研究を専門分野としていた。小惑星3220番の〔村山〕は、彼に因んで命名されている。 国立科学博物館理化学研究部長や天文博物館五島プラネタリウムの館長等を歴任した。またテレビ出演や公演、文筆などを通して天文普及につとめるとともに多くの書籍を書いている。 著作には、『天体観測入門・惑星と月の観測』『太陽系・隕石』『日本アマチュア天文史・惑星』『星座・隕石をさがす』『天文学のあゆみ』『太陽・月・惑星』『宇宙旅行の話』『惑星とその観測』などがある。 |
〔村上鬼城〕 村上鬼城は、日本の俳人え司法代書人でもある。鳥取藩士、小原平之進の長男として生まれる。11歳の時に母方の村上家の養子となり村上姓を名乗るようになる。 軍人を志し上京するが、耳の疾患のため断念し、明治法律学校で法学を学び司法代書人となる。一方で俳句への造詣が深く、正岡子規に教えを請い幾度となく『ホトトギス』に俳句の投稿をしている。その作風は、自らの困窮生活経験もあり、弱者の苦しみなど哀れみを詠った句が多い。 |
〔村上春樹〕 村上春樹は、京都府京都市伏見区生まれで、現代の日本を代表する小説家でありアメリカ文学翻訳家でもある。早稲田大学第一文学部演劇科卒業後、1979年に『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞し作家デビューを果たした。 1987年に発表した『ノルウェイの森』が上下巻で430万部のベストセラーとなり村上春樹ブームを起こすこととなる。彼の名は海外でも大人気であり、やがてノーベル文学賞の最有力候補とされている。 村上春樹の代表作には『ノルウェイの森』のほか、『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』などがある。 |
〔村田清風〕 村田清風は、長門国大津郡三隅村沢江生まれの武士で長州藩士家老である。藩校明倫館で優秀な成績を修め、学費免除のうえ、明倫館書物方となる。その後、藩主毛利斉房の小姓として仕え、斉房から5代毛利敬親の代まで藩の要職を歴任する。 天保9年には藩政の実権を掌握し、藩主毛利敬親のもとで天保の改革に取り組み手腕を振るった。清風の財政改革は苦しかった長州藩の財政を再建させた。清風はまた教育普及においても力を注ぎ、庶民層に対しても教育を薦めた。その後、中風などの病もあり退陣する。彼には『海防糸口』『病翁寝言』『遼東の以農古』などの著作がある。 |
〔村田英雄〕 村田英雄は、演歌歌手であり俳優である。浪曲師雲井式部一座の浪曲師であった両親から生まれ、幼少時4歳にして浪曲師の卵となり、『中山安兵衛婿入り』で初舞台を踏んでいる。 13歳で真打まで昇進、14歳では酒井雲坊一座の座長にまでなり、日本一の浪曲師を目指して九州を巡業した。1958年に古賀政男に見いだされ、古賀政男が歌謡浪曲に編曲した『無法松の一生』を歌って歌手へと転向しデビューを果たした。1961年には『王将』を発表しミリオンセラーとなり、第4回日本レコード大賞特別賞を受賞した。 村田英雄の主なヒット曲には、『王将』『皆の衆』『人生劇場』『無法松の一生』などがある。 |
〔棟方志功〕 棟方志功は、青森県出身の板画家であり、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人とされる。彼は版画を「板画」と称し木版の特徴を生かす作品を作成している。 少年時代にゴッホの絵画に感動して「ゴッホになる」といっていた。1924年に上京し帝展や白日会展などに油絵を出品するも入選はしていない。しかし、1928年の第9回帝展に油絵『雑園』を出品し初入選を果たす。以降、多くの作品を残すようになる。 棟方志功の版画作品には『釈迦十大弟子』『御鷹揚げの妃々達々』『大和し美し』などがある。また、著書には『わだばゴッホになる』などがある。 |
〔武者小路実篤〕 武者小路実篤は、日本の小説家であり詩人・劇作家・画家でもある。学習院高等学科卒業後、1906年に東京帝国大学哲学科社会学専修に入学、翌年には同級生の志賀直哉や木下利玄らと「一四日会」を組織する。更に翌1908年、回覧雑誌『望野』を創刊、1910年には文学雑誌『白樺』を創刊し、白樺派を名乗った。 武者小路実篤の代表作には、『お目出たき人』『世間知らず』『その妹』『幸福者』『友情』『愛慾』『棘まで美し』『愛と死』『馬鹿一』などがある。 |
〔陸奥宗光〕 陸奥宗光は、日本の政治家であり外交官、武士(紀州藩藩士)である。明治初期の版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えたとされ、伊藤内閣の外務大臣時、不平等条約の改正に辣腕を振るったことでも知られる。 陸奥宗光は天保15年、紀伊国和歌山で紀州藩士の子として生まれる。国学者・歴史家で名高い父の影響で、尊王攘夷思想を持つようになる。そして、土佐藩の坂本龍馬、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)・伊藤俊輔(伊藤博文)などの志士と交友を持つようになる。 |
◆ | 明治の外交力―陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ |
◆ | 棟方志功―わだばゴッホになる (人間の記録 (13)) |
◆ | この道より―武者小路実篤詩華集 (小学館ライブラリー) |
◆ | 世界の歴史 (5) ムハンマドとイスラム世界の広がり : イスラム教の誕生と発展 集英社版・学習漫画 |
◆ | 紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 日本の古典) |