戦後、ジャズに興味を抱き、家族の生活を支えるためにあるバンドの専属歌手となり、進駐軍キャンプやナイトクラブで歌っていました。
そんな折、赤坂のクラブで歌っているところをフランク永井にスカウトされたのでした。
吉田正に紹介されビクターに入社し1959年に『グッド・ナイト/東京ナイトクラブ』でレコードデビューを果たし、大ヒットとなり一躍有名となります。
更に、第2弾のマヒナスターズとの共唱のレコード『誰よりも君を愛す』は爆発的大ヒットを飛ばし、第2回レコード大賞を受賞します。こうして、松尾和子は一躍大スターの座に上りつめ 〔ムード歌謡の女王〕 とまで呼ばれるようになるのです。
1960年には次のような曲が連続して大ヒットし絶頂期を迎えました。
『再会』
『夜がわるい』
『お座敷小唄』
『再会の朝』
『銀座ブルース』
『銀座の恋の物語』
『銀座の恋の物語』 や 『グッド・ナイト』 『東京ナイトクラブ』 『誰よりも君を愛す』 『お座敷小唄』 などの曲は、現在まで根強く愛唱され、カラオケでも頻繁に歌われています。
NHK紅白歌合戦には、1960年第11回に『誰よりも君を愛す』をはじめ、『再会』『昔の人』そしてもう一度『誰よりも君を愛す』を歌って、通算四回出場しています。
更なる活躍を期待していたのですが、1992年9月25日、自宅の階段から転落し、脳圧迫により急死してしまいました。残念です。
|