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〔世界の偉人〕

リーマン

 

 ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマンはドイツの数学者で、解析学、幾何学、数論の分野で業績を上げた。19世紀を代表する数学者の一人である。

リーマンの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)



 アーベル関数に関する研究によって当時の数学者から高く評価された。しかし、時代を先取りし過ぎた彼の先駆的な研究は、十分には理解されず、その研究分野が正統な評価をされるのは、20世紀になってからのことである。

 リーマンは、1826年9月17日、ハノーファー王国ダンネンベルク近くの小村で牧師の息子として生まれた。1847年、ゲッティンゲン大学に入学、著名な大数学者であるカール・フリードリヒ・ガウスと知りあいになる。更に、その年に、ベルリン大学に移ると、ディリクレやヤコビらの数学者と出会い、楕円関数論や偏微分方程式論を学ぶ。

 1849年、ゲッティンゲン大学に復帰し、1851年にガウスの指導下で次の論文を提出して、博士号を取得する。

 「1複素変数関数の一般理論の基礎づけ」

 更に、1854年には、次の論文によって、大学教授資格を取得する。

 「幾何学の基礎にある仮説について」

 彼の二つの論文により、複素解析の基礎づけとリーマン幾何学とが確立されたのである。

 1857年に予備教授となり、2年後にはディリクレの後継者として正教授に就任した。1862年には結婚もし娘も誕生したが、その頃から結核の症状が進行し、イタリアで療養生活を送るようになる。

 結局、1866年、旅の途中に病に倒れ39歳で死去してしまう。没年39歳であった。リーマンは、次のような多くの数学分野にその名を残っている。

 ・リーマン積分
 ・コーシー=リーマンの方程式
 ・リーマンのゼータ関数
 ・リーマン多様体
 ・リーマン球面
 ・リーマン面
 ・リーマン=ロッホの定理
 ・リーマン予想

 リーマンが発表した数論に関する論文はたったひとつで、1859年に論文「与えられた数より小さい素数の個数について」を発表し、ここで「ゼータ関数についてのリーマン予想」と呼ばれるようになる予想を提案している。

 多くの数学者挑戦したが、このリーマン予想は本質的に超難解であり、21世紀の現在に至っても未解決問題となっている。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 リーマン(Riemann)

本名 ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン
(ドイツ語: Georg Friedrich Bernhard Riemann)

別名
称号
時代
生誕・生誕地 1826年9月17日
ハノーファー王国 ブレゼレンツ

死没 1866年7月20日(没年39歳)
イタリア王国。マッジョーレ湖畔ヴェルバーニア セラスカ

国籍 ドイツ

言語 ドイツ語

居住地 ドイツ

学歴 ゲッティンゲン大学

職業 数学者

分野 〔研究分野〕数学

所属 〔研究機関〕

 ・ゲッティンゲン大学
 ・ベルリン大学

業績 〔数学上の概念〕

 ・リーマン積分
 ・コーシー=リーマンの方程式
 ・リーマンのゼータ関数
 ・リーマン多様体
 ・リーマン球面
 ・リーマン面
 ・リーマン=ロッホの定理
 ・リーマン予想

処女作
作品 〔論文〕

 ・「1複素変数関数の一般理論の基礎づけ」
 ・「幾何学の基礎にある仮説について」

受賞歴
名言
サイト
その他

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