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〔世界の偉人〕

〔よ〕で始まる世界の偉人

ヨハネス・フェルメール


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行

やゆよ

〔よ〕で始まる世界の偉人

ヨハネ(使徒ヨハネ)
ヨハネ・フェルメール
ヨハンシュトラウス

 ヨハネス・フェルメールは、現在のオランダ、ネーデルラント連邦共和国の画家で、バロック期を代表する画家のひとりである。

 彼の描く絵画は、映像のような写実的表現と綿密な空間構成を駆使して描かれ、その上に巧みな光の表現による質感を持たせることを特徴としている。

ヨハネス・フェルメールの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 フェルメールは、オランダのレンブラントやイタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、バロック絵画を代表する画家のひとりとされる。

 また、レンブラントに並ぶ、17世紀オランダ黄金時代の代表画家である。

 彼の絵は、最も初期の頃には物語画家として始めた。その時代の代表作には『マリアとマルタの家のキリスト』がある。その後は風俗画家へと主題が変わり、『取り持ち女』などの作品が残っている。

 彼の作品で現存するものは三十数点ほどしかなく、その他にも10点ほどの作品が記録に存在するが現物は残っていない。


マリアとマルタの家のキリスト 
マリアとマルタの家のキリスト
(出典:ウイキペディア)
取り持ち女 
取り持ち女
(出典:ウイキペディア)
 フェルメールは、1632年にオランダのデルフトで生まれ洗礼を受けた。彼の父親は、絹織物職人を本業としながら、パブと宿屋を営んでいたが、フェルメールが誕生する前年には画家中心のギルド、聖ルカ組合に画商として登録されている。

 1641年にはメーヘレンの家を購入し居住するようになったが、その家は現在もフェルメールの家として知られている。

 フェルメールは、1653年4月5日に結婚したが、結婚立会人にはデルフトの画家レオナールト・ブラーメルが務めている。

 その8か月後に、フェルメールは聖ルカ組合に親方画家として登録されている。当時は、親方画家として登録されるには、6年以上の修行が必要だったので、それまでに誰かの弟子として学んだことになるが、師事した人物については不明である。

 フェルメールには15人もの子供が生まれたが、4人は夭折している。画業では生活できなかったためか、とても裕福だった妻の実家で義母とともに暮らした。

 1655年に父親が亡くなると、実家の稼業を相続、パブ兼宿屋の経営も手掛けている。

 裕福な義母の助けもあって、その時代では純金ほども高価なラピスラズリを原料とするウルトラマリンを惜しげもなく絵に使用できたという。

 同年9月20日には、ピーテル・デ・ホーホが聖ルカ組合に加入し、親密な友人として活動するようになり、後に二人は「デルフト派」と呼ばれるようになる。


聖ルカ組合 
聖ルカ組合(出典:ウイキペディア)
牛乳を注ぐ少女 
牛乳を注ぐ少女
(出典:ウイキペディア)
デルフト眺望 
デルフト眺望
(出典:ウイキペディア)
恋文 
恋文(出典:ウイキペディア)
真珠の耳飾り 
真珠の耳飾り
(出典:ウイキペディア)

偉人のプロフィール

プロフィール
通称 ヨハネス・フェルメール、あるいは単にフェルメール
本名

ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト (Jan van der Meer van Delft)

別名

称号

時代

生誕・生誕地

1632年10月31日?・Statenvlag.svg ネーデルラント連邦共和国:デルフト

死没

1675年12月15日?(43歳?)・Statenvlag.svg ネーデルラント連邦共和国:デルフト

国籍

オランダ(ネーデルラント連邦共和国)

言語

オランダ語

居住地

オランダ:デルフト(故郷)

学歴

職業

画家

分野

バロック期を代表する画家

所属

業績

〔運動・動向〕

・オランダ黄金時代
・バロック絵画

作品

〔代表作〕

『真珠の耳飾りの少女』
『牛乳を注ぐ女』
『デルフト眺望』

受賞歴

名言

サイト

その他


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