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〔は〕で始まる日本の偉人

華岡青洲 原敬
長谷川町子 萩原朔太郎
浜田広介 林忠彦
林芙美子 濱口雄幸

〔日本の偉人〕

浜田広介

 

 浜田広介は、明治26年(1893年)山形県東置賜郡高畠町の農家に生まれた、日本の童話作家である。

 日本児童文芸家協会初代理事長を務めた。また、坪田譲治、小川未明とともに児童文学界の三種の神器と呼ばれた。

浜田広介の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 彼は、米沢中学を経て早稲田大学英文科を卒業しているが、大学入学の年に、『萬朝報』の懸賞小説に投稿し、短編小説『零落』が入選した。そして、これ以降何作かの小説を著した。また、大正13年(1917年)には、『黄金の稲束』が大阪朝日新聞の懸賞新作お伽話一等に入選し、それ以降、コドモ社の児童雑誌『良友』から童話を発表するようになり、本格的に童話作家を目指すようになる。

 代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがあり、現在でも幼稚園などの卒業遊戯に演じられることが多い。



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・浜田 広介(はまだ ひろすけ)

本名 〔本名〕
・浜田 広介(はまだ ひろすけ)
・濱田 廣介(はまだ ひろすけ)(旧字体)

別名
称号
時代 〔時代〕
・明治時代後期~昭和時代

生誕 〔生誕〕1893年(明治26年)5月25日
〔生誕地〕山形県東置賜郡高畠町

死没 〔死没〕1973年(昭和48年)11月17日(80歳没)
〔没地〕東京都大田区田園調布
〔戒名〕廣徳院殿童愛錦謡居士
〔墓所〕春秋苑(川崎市)

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)
・早稲田大学英文科卒

職業 〔職業〕
・日本の童話作家

分野 〔ジャンル〕
・童話

所属 〔所属〕
・日本児童文芸家協会初代理事長

業績 〔業績〕
・浜田広介は、坪田譲治、小川未明とともに「児童文学界の三種の神器」と呼ばれた。

・広介の童話は、幼稚園児や小学校低学年向けの平易な内容と純朴で心に響く語り口で知られ、「ひろすけ童話」と称される。教科書や絵本で親しまれるほか、しばしば幼稚園児の卒業発表会などで演技される。

作品 〔代表作〕
 『泣いた赤鬼』
 『椋鳥の夢』
 『竜の目の涙』

〔その他の著作〕
 『大将の銅像』
 『ひろすけ童話讀本』
 『頼朝と義経』
 『小鳥と花と』
 『飛んで来い』
 『河うその赤んぼ』
 『かっぱと平九郎』
 『ニゲタカメノコ』
 『旅に出た王子』
 『兎の画家』
 『蠅の目と花』
 『タノシイコドモ』
 『わにとへいたいさん』
 『コドモトイヌ』
 『ひのきまる』
 『花びらの旅』
 『一つの願い』
 『おかあさんと花』
 『つよいたんぽぽ』
 『みち』
 『ひろすけ童話選集』
 『春の氏神』
 『雪国のおんどり』
 『かえるのきょうだい』
 『雪のふる国』
 『小さな川の小さなはし』
 『たぬきとつばめ』
 『浜田広介童話集』
 『こぶたのペエくん』
 『くまがさるからきいた話』
 『ひろい世界』
 『お山の子ぐま』
 『浜田広介童話選集』
 『ひろすけ童話』
 『童話文学と人生』
 『ひろすけ幼年童話文学全集』
 『浜田広介全集』

受賞歴 〔受賞歴〕
・大阪朝日新聞 懸賞新作お伽話一等入賞
・北村透谷賞(『途暗し』)
・産経児童出版文化賞受賞

・日本文化協会児童文化賞受賞
・野間文芸奨励賞受賞
・芸術選奨文部大臣賞受賞

名言 〔浜田広介の名言〕



サイト
その他  山形県東置賜郡高畠町には、高畠町立の記念館として「まほろば・童話の里 浜田広介記念館」がある。

 あるとき、作曲家の古賀政男が、浜田広介の「日本橋から」という詩に、勝手に曲をつけて、佐藤千夜子が歌ってヒットしたことがあった。後に、著作権法に抵触すると知った古賀が広介に陳謝したが、当の本人は著作権のことなど知らず、2人で大笑いしたという。


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