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〔日本の偉人〕

〔は〕で始まる日本の偉人

萩原朔太郎

(はぎわら さくたろう)


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行

はひふへほ

〔は〕で始まる日本の偉人

華岡青洲 原敬
長谷川町子 萩原朔太郎
浜田広介 林忠彦
林芙美子 濱口雄幸

 萩原朔太郎は、明治19年(1886年)群馬県東群馬郡北曲輪町で生まれた、日本の詩人である。

 大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

萩原朔太郎の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 幼少時代は、神経質で病弱な子で孤独を好み、学校ではひとり除け者にされていたという。明治33年(1900年)、旧制県立前橋中学校に入学し、従兄弟の萩原栄次に短歌手ほどきをうける。在学中に級友と共に『野守』という回覧雑誌を出して短歌を発表する。明治36年には、与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首掲載され、「新詩社」の同人となる。

 萩原朔太郎の主な詩集には次のようなものがある。

 『月に吠える』
 『蝶を夢む』
 『青猫』
 『純情小曲集』
 『氷島』
 『定本青猫』
 『宿命』



偉人のプロフィール

プロフィール
通称 〔通称〕
・萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)

本名 〔本名〕
・萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう)

別名
称号
時代 〔時代〕
・明治時代~昭和時代前期

生誕 〔生誕〕1886年(明治19年)11月1日
〔生誕地〕群馬県東群馬郡北曲輪町

死没 〔死没〕1942年(昭和17年)5月11日
〔没地〕東京府東京市世田谷区代田
〔墓所〕政淳寺(前橋市)

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・群馬県師範学校附属小学校
・師範学校附属小学校高等科
・旧制県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)
・第五高等学校第一部乙類(英語文科)
・第六高等学校第一部丙類(ドイツ語文科)中退
・慶應義塾大学予科中退

職業 〔職業〕
・日本の詩人

〔活動期間〕
・1917年~1942年

分野 〔ジャンル〕
・詩
・随筆
・評論
・小説
・短歌

〔主題〕
・寂寥感
・孤独感
・倦怠感
・憂鬱感
・空虚感

所属 〔文学活動〕
・象徴主義
・芸術詩派
・アフォリズム
・口語自由詩
・神秘主義

業績 〔業績〕
・萩原朔太郎は、口語自由詩を確立し日本近代詩に大きな足跡を残した詩人である。

・大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

作品 〔詩集〕
 『月に吠える』
 『蝶を夢む』
 『青猫』
 『純情小曲集』
 『萩原朔太郎詩集』
 『氷島』
 『定本青猫』
 『宿命』
 『猫町』

〔アフォリズム集(詩集)〕
 『新しき欲情』
 『虚妄の正義』
 『絶望の逃走』
 『港にて』

〔小説〕
 『猫町』

〔随筆〕
 『詩論と感想』
 『純正詩論』
 『廊下と室房』
 『詩人の使命』
 『無からの抗争』
 『日本への回帰』
 『帰郷者』
 『探偵小説に就いて』
 『阿帯』

〔詩歌論〕
 『詩の原理』
 『恋愛名歌集』
 『郷愁の詩人-与謝蕪村』

受賞歴 〔受賞歴〕
・第8回文学界賞
・第4回透谷文学賞

名言 〔萩原朔太郎の名言〕

・詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。

・全ての場合を通じて、恋愛は忍耐である。

・酒は文明に対する一つの諷刺である。

・どんな真面目な仕事も、遊戯に熱しているときほどには、人を真面目にし得ない。

・もっとも親しき友人というのは、つねに兄弟のように退屈である。

・都会の生活は非人情であり、そしてそれ故に、遙かに奥床しい高貴の道徳に適っている。

・幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、 不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。

サイト
その他  萩原朔太郎は詩人だというだけでなく、マンドリン奏者でもあり、たびたび前橋市で演奏していたという。

 青年時代から手品に興味を持っていたこともあり、晩年になって阿部徳蔵主催のアマチュア・マジシャン・クラブに入会した。入会はとても難しいものであったらしい。

 前橋市では市制施行100周年を記念し、萩原朔太郎の業績を永く顕彰し、日本文化の発展に寄与するとともに、市民文化の向上に資することを目的として、現代詩における最も優れた作品に贈る「萩原朔太郎賞」を平成4年(1992)に制定した。(出典:前橋文学館)


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