この団体の初舞台は吉本興業大阪のうめだ花月でした。ムード歌謡コーラスグループに分類される場合もあります。
平和勝次は、竹原中学校卒業後には大阪に出て、浪曲師冨士月子に弟子入りして修行を積み、1967年には、二代目〔若葉わたる〕として〔若葉トリオ〕に参加しました。
その後は、漫才師となり、松竹芸能に所属し、〔平和勝一・勝次〕というコンビを組んでお笑い歌謡ショーなどを演じていました。
そして、1972年、彼にとって記念すべきバンドグループ〔平和勝次とダークホース〕を結成しました。〔平和勝次とサラブレッド〕や〔平和勝次とモンローズ〕というグループ名でも活動しました。
平和勝次率いるこのバンド、ダークホースは、バンド結成の翌年に発表したデビュー曲『宗右衛門町ブルース』が200万枚を売り上げる空前の大ヒットとなり、一躍その名を世に知らしめました。
その翌年には『女の舟歌』もヒットさせていますが、この年にバンドは解散してしまい、彼自身はソロ歌手となりました。
平和勝次にその後はそれほどのヒットはないですが、最近でも時々、演歌懐メロ番組、名曲ベストヒット歌謡番組などに出場して『宗右衛門町ブルース』を披露しています。
阪神淡路大震災後に伊丹市から猪名川町に移住し、現在は福祉団体の後援で全国無料公演を続けているとのことです。
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