ゼノン |
エレアのゼノンは、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人とされる。 ゼノンのパラドックスを唱えたことで有名である。 ゼノンの生涯については、さまざまな説があるが、はっきりしたことは分からない。 |
ゼノンは、テレウタゴラスという人物の子であるが、養子縁組によって、古代ギリシャの哲学者であるパルメニデスの子となった。生涯をパルメニデスの子であり弟子として過ごした。愛人だったともいわれる。 南イタリア(マグナ・グラエキア)のルカニアのギリシア植民地、エレアを愛していたために、ゼノンは学問の中心地であったアテナイに移住することはなく、生涯をそこで暮らした。 彼は、僭主(せんしゅ)であったネアルコス(あるいはディオメドン)を打倒しようと企て、逆に捕縛され、刑死に処せられ果てたという。(僭主とは、本来の皇統、王統の血筋によらず、実力で君主の座を簒奪した者。) 末路については、いろいろな説があるが、ウイキペディアによると、代表的な説は次のようなものである。 〔説1〕 同志や武器の輸送で尋問された際、僭主の友人の名を挙げ、僭主に猜疑心を起こそうと謀った。その後、僭主の鼻か耳に噛みついて、刺殺されるまで離さなかったという。 〔説2〕 僭主から共犯者がいるか尋問されたとき、「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って吐き掛けたという。それに奮い立った市民たちは僭主に石を投げつけて殺してしまったという。 〔説3〕 ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたという。 いずれにしてもゼノンは悲惨な最期を遂げたことは確かであるが、自然哲学者としての彼は、その時代にあっては進んだ哲学思想を持っていた。 プラトンの対話編『パルメニデス』によれば、ゼノンは師であるパルメニデスやソクラテスとともに記述されている。プラトンは、ゼノンをギリシア神話の知将パラメーデースになぞらえて、「エレアのパラメーデース」と称したともいう。 また、ゼノンは、アリストテレスによって「弁証法、問答法」の創始者と呼ばれたという。弁証法は、質疑応答によって知識を探求する方法であり、ゼノンこそが、最初の発見者であるという。 ゼノンの世界観では、いくつかの世界が存在し、空虚空間は存在しないと考えている。本質的に万物は、温・冷・乾・湿の諸要素から創りだされ、相互に変化するとする。人間は大地より生まれ、魂は四つの要素の混合したものであるという。 ゼノンの唱えたパラドックス(逆説)は、いくつかあるが、最も有名なのは〔アキレスと亀〕や〔飛ぶ矢や動かず〕などである。これらの逆説は、運動は不可能ということを論じたものである。「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」との命題である。 |