シャンポリオン |
シャンポリオンは、フランスの古代エジプト学の研究者です。 歴史上、極めて重要な〔ロゼッタ・ストーン〕を解読し、古代エジプト象形文字である〔ヒエログリフ〕を解明しました。 この業績により、しばしば〔古代エジプト学の父〕と称されています。 |
シャンポリオンは、1790年にフランスのロット県フィジャックで生まれました。 幼少時より、たぐい稀なる語学の才能を示し、既に8歳の頃にはラテン語を話したほどでした。グルノーブルの高等学校に18歳の頃に入学すると、多くの古代語を学習し、中国の古代語も学習しました。 そして、その頃、将来重大な発見につながるロゼッタストーンのコピーの一部を入手しています。 語学の天才ぶりは、その後も開花し、20歳では、ラテン語ばかりかギリシア語やヘブライ語、アムハラ語、サンスクリット語、アヴェスタ語、パフラヴィー語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、中国語などを習得していたといいます。コプト語などの東洋語にも関心を持っていました。 1798年、ナポレオンがエジプト遠征をした際、遠征軍には167人からなる大規模な学者の集団、科学芸術委員会が随行していたが、翌年7月15日、エジプトの港湾都市ロゼッタ(現地名:ラシード)北東数マイルの辺りで、ピエール=フランソワ・ブシャール大尉が、不思議な碑文の入った岩板を発見しました。 そこには、三つの碑文が描かれており、最初のものがヒエログリフ、最後がギリシャ語であり、同一の内容が三つの言語で記されていることを窺わせていました。その重要性はすぐに認識され、ナポレオンに報告されるとともに、〔ロゼッタ・ストーン〕と呼ばれるようになりました。 シャンポリオンは、この発見されたばかりのロゼッタ・ストーンを、数学者でイゼール県知事だった、ジョゼフ・フーリエに見せてもらうことができ、そこに書かれたヒエログリフの解読にとりつかれることになるのでした。 その後、シャンポリオンは、1809年にはグルノーブル大学の歴史担当教授となります。そして、1822年、ヒエログリフの解読結果をパリ学士院で発表しました。 トリノ・エジプト博物館から古代エジプトのパビルスや芸術品の提供を受け、最終的に1824年に『ヒエログリフの体系概説』を著わします。1826年には、ルーブルのエジプト美術部門の創設を担当しました。 彼が、長年の夢であったエジプトへの調査旅行を実現したのは、1828年と1830年のことでした。パリに帰国後の1831年5月18日には、コレージュ・ド・フランスの古代エジプト学教授に就任しています。 シャンポリオンは、残念なことに、1832年3月4日、コレラに罹患し死去しました。41歳の若さでした。 彼の功績を称えて、ローウェル天文台のエドワード・ボーエルが発見した、小惑星帯に存在する小惑星(3414)には、彼に因んで〔シャンポリオン〕と命名されています。 |