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〔世界の偉人

ヴォルテール


 ヴォルテールは、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家でです。

 歴史的には、啓蒙主義を代表する人物とされ、ジャン・ル・ロン・ダランベールなどとともに百科全書派の学者の一人として活躍しました。

 彼の、ヴォルテールという名は一種のニックネーム、あるいはペンネーム的なもので、本名はフランソワ=マリー・アルエといいます。

 彼は、パリの公証人の子として生まれたが、本名はフランソワ・マリー・アルエであり、ヴォルテールという呼び方は一種のペンネームあるいは幼少時の渾名「ヴォロンテール(意地っぱり)」をもじったものとされています。

 1704年以降、彼はイエズス会のルイ=ル=グラン学院で学び、最優秀な生徒だったが、イエズス会士や司法官になることは望まず詩人を目指し、アカデミー・フランソワーズの詩の賞を受けている。

 詩には政治や政府を批判したものが多く、1717年5月には、バスティーユ牢獄に投獄され11ヶ月間を過ごしている。この頃から、ペンネームとして「ヴォルテール」の名を用いるようになったらしい。

 1718年11月18日、彼は出獄したばかりだったが、韻文悲劇の処女作『エディップ』がコメディー・フランセーズにて初公演され、大成功を納め、45回も上演される。この功績により摂政より金メダルと年金を受け大物作家として知られるようになります。
 1726年には名門貴族とのトラブルにより再度投獄されるものの、世論が彼に味方したこともあって、すぐに釈放されます。

 その後、自分の意志でイギリスへ渡航しますが、封建的なフランスに対して自由なイギリスに感銘を受けます。

 そして、イギリス哲学に惹かれ、1733年、ロンドンで『哲学書簡』を発表します。フランスの愛国者を刺激し一時期逮捕状が出されるほどだったが、友人の尽力により取り消され、彼はパリに戻りました。

 その後も、数多くの作品を残したが、1778年5月30日に死去。没年83歳でした。


この偉人のプロフィール 〔ヴォルテール〕のプロフィール。
〔ヴォルテール〕

ヴォルテールの写真
(出典:wikipedia)

プロフィール
〔通称名〕 ヴォルテール
〔本名〕 フランソワ=マリー・アルエ(Francois-Marie Arouet)、姓は「アルーエ」ともいう。
〔別名・ペンネーム〕 ヴォルテール(Voltaire)はペンネーム的な名称。幼少時からの綽名は「ヴォロンテール」(意地っぱり)をもじったものとの説もある。
〔称号〕
〔時代〕 18世紀の哲学
〔生誕〕 1694年11月21日:Royal Standard of the King of France.svg フランス王国・パリ
〔死没〕 1778年5月30日(満83歳没)Royal Standard of the King of France.svg フランス王国・パリ(墓所はパンテオン)
〔国籍〕 フランス王国
〔言語〕 フランス語
〔出生国:出身地〕 フランス王国:パリ
〔居住国:居住地〕 フランス王国
〔出身校・最終学歴〕
〔職業〕 哲学者、作家、文学者、歴史家
〔ジャンル・主題〕 西洋哲学、啓蒙主義哲学
〔所属・党・派〕 〔学派〕:理神論・啓蒙思想(啓蒙主義)・百科全書派
〔活動・業績〕
〔研究分野〕
 哲学史
 思想史
 倫理学
 自然哲学
 歴史哲学
 宗教哲学
 政治哲学
 社会哲学
〔主な概念〕
 理性
 自由
 寛容
 政教分離原則
 信教の自由
 思想・良心の自由
 表現の自由


〔処女作〕
〔代表作〕
 『エディップ』  『ブルータス』
 『カール十二世伝』  『ザイール』
 『哲学書簡』  『ニュートン哲学の基礎』
 『マホメット』  『メロップ』
 『ザディーグ』  『ルイ十四世の世紀』
 『リスボンの震災をめぐる詩』  『諸国民の風俗と精神について』
 『カンディード』  『スコットランド女』
 『寛容論』  『哲学辞典』
 『ばか正直』  『バビロンの王女』
 『ミノス王』  『イレーヌ』

〔受賞歴〕
〔残した言葉・名言〕 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

〔公式サイト〕
〔その他の情報〕