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〔世界の偉人

ウィリアム・オッカム


 ウィリアム・オッカムは、フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者、哲学者です。

 通例単にオッカムと呼ばれるが、本来は姓ではなく出身地で呼び方です。本来は「オッカムのウィリアム」と呼ばれます。

 哲学や科学における節約の原理「オッカムの剃刀」の提唱者として知られている。

 オッカムのウイリアムは、1285年イングランドのオッカム村で生まれ、オックスフォード大学で学びました。

 フランシスコ会の会則の解釈ではいわゆる清貧派の立場をとり、普遍論争では急進的な唯名論の立場に立っていました。トマス・アクィナスの継承者トミストの立場をとる学長と対立してこともあり、30歳を過ぎても命題集講師というつまらない職に留まっていました。

 1323年には、異端のかどで当時アヴィニョンにあった教皇庁に訴えられ、ローマ教皇・ヨハネス22世と対立、翌年には教皇庁へ召還されます。結局、オッカムの学説は異端だとされ破門されてしまいます。

 オッカムは、フランシスコ会総長チェーザナのミカエルとともに、アヴィニョンからミュンヘンに逃亡、聖職叙任権などをめぐり教皇と対立する神聖ローマ帝国の皇帝ルートヴィヒ4世の保護を受けます。

 ミュンヒェンに居住していたオッカムは、1347年あるいは1348年、この地でペストに罹患し死去します。
 おっかむのウイリアムは、「信仰によってのみ人間は神学的真理に到達できる」と考えていました。科学のみが神を唯一の存在論的必然物とみなすことができるとしています。

 オッカムは、説明や理論構築の上でのケチの原理を唱え、近代科学や近代知的文化に与えた重要な貢献であるとして、この原理は〔オッカムの剃刀〕と呼ばれています。

 政治学では、彼は中世で初めて教会と国家の分離という形式を提唱したことで知られ、後世における自由民主主義思想の発生を促したとされます。

 論理学でも、後に〔ド・モルガンの法則〕と呼ばれるものを書き残しています。これは三つの真理値を持つ3値論理体系であり、19世紀以降の数理論理学において再発見されています。


この偉人のプロフィール 〔ウィリアム・オッカム〕のプロフィール。
〔ウィリアム・オッカム〕

ウィリアム・オッカムの写真
(出典:wikipedia)

プロフィール
〔通称名〕 オッカム、ウイリアム・オッカム
〔本名〕 オッカムのウィリアム(英: William of Ockham)
〔別名・ペンネーム〕
〔称号〕
〔時代〕 中世哲学
〔生誕〕 1285年:イングランド オッカム村
〔死没〕 1347年または1348年:神聖ローマ帝国ミュンヘン
〔国籍〕 イギリス:イングランド
〔言語〕 英語
〔出生国:出身地〕 イングランド オッカム村
〔居住国:居住地〕 アヴィニョン、ミュンヘン
〔出身校・最終学歴〕 オックスフォード大学
〔職業〕 後期スコラ学を代表する神学者、哲学者
〔ジャンル・主題〕 〔研究分野〕:形而上学、認識論、神学、論理学、存在論、政治学
〔所属・党・派〕 フランシスコ会
〔活動・業績〕 〔主な概念〕:オッカムの剃刀、唯名論
〔処女作〕
〔代表作〕 著作は哲学的著作、神学的著作、政治的著作など非常に多いが、邦訳されているものはほとんどない。
〔受賞歴〕
〔残した言葉・名言〕
〔公式サイト〕
〔その他の情報〕