三波春夫 |
三波春夫は、新潟県の現在の長岡市出身の演歌歌手です。 彼の歌風は、長編歌謡浪曲と呼ばれる類の歌謡曲で、朗々と歌う姿が印象的な歌手です。 三波春夫は13歳で上京し16歳のとき浪曲学校に入学して歌手を目指し全国巡業などをしていました。 |
19歳で徴兵され満州に出兵しました。終戦後はシベリアで4年間の抑留生活をしています。シベリアから帰国後、1952年(昭和27年)には三味線の曲師であった野村ゆきと結婚し、妻の三味線と本人の浪曲で二人旅を開始したものの、流れが歌謡曲の時代に移りつつあるのを実感し、浪曲師の道に終止符を打ち、1957年(昭和32年)には、歌謡浪曲の道へと転進します。 歌謡界へのデビュー盤として『チャンチキおけさ/船方さんよ』のカップリング盤を出し、その後も初年度中にシングル7枚、10曲を発表、いずれも大ヒットして人気を博します。翌1960年(昭和33年)には、早くも第9回NHK紅白歌合戦に初出場を果たし、人気歌手の座を確たるものとしました。 1963年(昭和38年)6月、東京オリンピックテーマソング『東京五輪音頭』が大ヒットし250万枚を売り上げます。翌年には、自身の作詞・作曲による長編歌謡浪曲『元禄名槍譜 俵星玄蕃』を発表し、浪曲を織り交ぜたような三波独特の節回しで、大ヒットを記録します。 その後も『沓掛時次郎』『俵星玄蕃』『紀伊国屋文左衛門』『大利根無情』『おまんた囃子』など多数の大ヒットを出し、最終的にNHK紅白にも通算31回出場を果たし、〔国民歌手〕とか〔国民的歌手〕という言葉が三波の代名詞となるのでした。 三波春夫は「お客様は神様です」という名セリフを残して、2001年(平成13年)4月14日、前立腺がんのため他界した。没年77歳だった。三波春夫の主なヒット曲には次のような曲があります。 |
『大利根無情』 | 『チャンチキおけさ』 | |
『船方さんよ』 | 『元禄名槍譜 俵星玄蕃』 | |
『おまんた囃子』 | 『豪商一代 紀伊國屋文左衛門』 | |
『東京五輪音頭』 | 『世界の国からこんにちは』 | |
『沓掛時次郎』 | 『一本刀土俵入り』 |