春日八郎 |
春日八郎は、日本の流行歌歌手・演歌歌手です。 戦後、歌謡曲から演歌の時代に変わろうとする時代、1952年に『赤いランプの終列車』を歌って大ヒットを飛ばしました。 そして、その2年後の1954年には歴史に残る空前の大ヒット曲『お富さん』を歌って歌謡曲の世界に燦然と輝きました。 |
春日八郎は、浅草でクラシックの正統派歌手である藤山一郎の歌う姿にふれ、いつか自分もあのような歌手になろうと憧れるようになり、福島県から歌手を目指して上京しました。 現在の東京音楽大学を卒業後、新宿にあったキャバレー、ムーラン・ルージュで歌手的生活をしていましたが、ヒットもなく赤貧状態の生活をしていました。そんな中、1948年、キングレコード主催の〔第1回歌謡コンクール〕で合格し、〔歌川俊〕の芸名で準専属歌手の地位を得ました。 3年間におよび、先輩歌手の前座で歌うなどの赤貧時代を過ごした後、作曲家江口夜詩の家で家事、掃除などを手伝いながら歌を作ってもらうよう願い続けます。その間も歌手としての声が出せるような努力も続けます。 ついに、1952年に江口による最初の曲『赤いランプの終列車』は発売となり、大ヒットを博し世に名を知られるようになります。そして、2年後の1954年になると『お富さん』を歌い、これが歴史に残る空前の超大ヒットとなり、125万枚を売り上げます。現在に至るまでこの曲ほど多くの国民に歌われた曲は珍しいほどで、その年の第5回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。 その翌年には、『別れの一本杉』をヒットさせるなど、従来の〔流行歌〕とはちょっと趣のことなる望郷歌謡曲を次々とヒットさせ、衰退すつつあった流行歌の時代から、新天地〔演歌〕の時代を切り拓いたのでした。 こうして、演歌の時代は春日八郎に始まり、それに引き続いて、三橋美智也や三波春夫、村田英雄、島倉千代子、美空ひばりらが演歌を歌い始め、少し時代が経つと、北島三郎や都はるみが参入して演歌最盛期を迎えることとなったのでした。 |
『お富さん』 | 『母の便り』 | 『別れの一本杉』 | |
『東京の蟻』 | 『山の吊橋』 | 『別れの燈台』 | |
『長崎の女』 | 『長良川旅情』 | 『風林火山の歌』 | |
『大阪の灯』 | 『ロザリオの島』 | 『たそがれの砂丘』 | |
『花かげの恋』 | 『雨降る街角』 | 『波止場で待ちな』 | |
『望郷詩』 | 『さよなら宗谷』 | 『赤いランプの終列車』 | |
『あん時ゃどしゃ降り』 |