織田信長 |
織田信長は、戦国時代から安土桃山時代の武将・戦国大名で、当時の三英傑の一人です。 天下布武を唱え、天下統一を目前にしたのだが、重臣明智光秀に反旗を許し本能寺で自害して果てました。 彼の死はその後の歴史を大きく変えることとなってしまいました。 |
織田信長は、尾張国(現在の愛知県)の古渡城主である織田信秀の嫡男として、那古野城で生まれ、一歳にして那古野城となりました。 1549年(天正18年)、16歳で濃姫と結婚し、18歳の時には、父親信秀の死によって、家督を相続します。21歳になると、本拠を清州城に移しています。 1560年(永禄3年)には有名な〔桶狭間の戦い〕で、今川義元を討ってその名を世に知らしめました。1563年(永禄6年)には、本拠を小牧山城に移転し、やがて。尾張守を自称するようになり、今度は本拠を岐阜城に移転します。 1568年(永禄11年)には、13代将軍足利義輝の弟である足利義昭を奉じて上洛し将軍職就任を助けるのですが、その5年後には、義昭を畿内から追放してしまい、足利幕府は毛利家勢力範囲の備後へ遷りました。 こうして、事実上、室町幕府を滅亡させると、織田信長は、畿内を中心にした強力な中央政権を確立します。 1575年(永楽3年)には、世にいう〔長篠の戦い〕において、強力な武田軍に対して、織田・徳川連合軍ととして戦い圧勝します。その後も、各地の戦いで勝利し、支配領域を拡大してゆきました。 しかし、1582年(天正10年)6月2日、天下統一を目前にして、重臣の明智光秀に反旗を許し、本能寺で自害して果てました。世にいう〔本能寺の変〕です。織田信長は、戦国時代の終結に最大の影響を残した偉大な人物でしたが、志半ばで夢は潰えました。 この政権は、豊臣秀吉による豊臣政権へと引き継がれ、やがて徳川家康による300年におよぶ太平の夢、江戸幕府へと続いていくことになります。 |