青江三奈 |
青江三奈は、日本の歌謡曲・演歌歌手で、ムード演歌の女王と呼ばれるほどの人気歌手でした。 彼女のメジャーデビュー曲『恍惚のブルース』が大ヒットし、当時80万枚を売り上げました。 彼女の芸名は、作詞家の川内康範が『週刊新潮』で連載していた小説 『恍惚』 のヒロインの歌手名にちなんで付けられたものでした。 |
青江三奈は、既に高校時代から、銀座にあったシャンソン喫茶店〔銀巴里〕で歌っていました。高校卒業後には西武百貨店に勤務しますが、後にクラブ歌手となり、1966年に『恍惚のブルース』で本格的デビューを果たしました。彼女のハスキーボイスで歌うこの曲は、一気に80万枚を売り上げました。 2年後の1968年に出した『伊勢佐木町ブルース』と『長崎ブルース』は共にミリオンセラーを記録しています。お色気たっぷりの吐息で始まる『伊勢佐木町ブルース』は、現在でも人々の記憶に残る名曲ですが、その年〔第10回日本レコード大賞・歌唱賞〕と〔第1回日本有線大賞スター賞〕を受賞しています。 1969年には、彼女の生涯最大のヒット曲となる『池袋の夜』で150万枚を売り上げ、史上初の2年連続での〔日本レコード大賞・歌唱賞〕受賞となりました。 当時の人気歌手に森進一がいて、青江三奈同様にハスキーボイスで歌うことから、この二人の歌手は〔ため息路線〕などと呼ばれて人気を博しました。 その後は大きなヒット曲はでないものの、テレビ番組やコンサートなどでは活発に活動を続け、1990年に『レディ・ブルース』がヒットし『第32回日本レコード大賞・優秀アルバム賞』を受賞しています。 彼女は〔NHK紅白歌合戦〕には通算で18回出場しましたが、最後の出演は1990年で、その年に亡くなった作曲家、浜口庫之助を偲ぶためのものでした。浜口倉之助は、青江三奈を大歌手に押し上げた『恍惚のブルース』の作曲家です。 その後も海外公演なども続け、歌手生活30周年記念として、NHKホールでリサイタルを開催するなど歌手活動を続けていました。1998年にすい臓がんが発覚し、入退院を繰り返し闘病生活をしていましたが、2000年7月2日に惜しくも他界してしまいました。現在では生の声を聴くことは叶いません。彼女の主なヒット曲には次のものがあります。 |
『札幌ブルース』 | 『恍惚のブルース』 | 『伊勢佐木町ブルース』 | |
『池袋の夜』 | 『長崎ブルース』 | 『新宿サタデーナイト』 | |
『夜の瀬戸内』 | 『国際線待合室』 | 『昭和おんなブルース』 | |
『長崎未練』 | 『木屋町の女』 | 『日本列島・みなと町』 | |
『盛岡ブルース』 | 『大田ブルース』 | 『中洲・那珂川・涙街』 | |
『恋命』 | 『ラーメンブルース』 | 『炎のように火のように』 | |
『しのび逢いそっと』 |